【序】

 養育の環境は家庭と地域,学校でした。その家庭では子どもは親の背中を見て育つと言われてきましたが,今では親の背中が子どもの目の前から消えています。個人生活優先の風潮は子育てが足かせになるという認識に突き当たり,少子化を現出しています。また地域における養育も個人の領域には踏み込めないという自閉的配慮から封鎖されています。かつては子どもの周りにいた大人が総出で育成に関わっていましたが,今ではすべて親に押しつけられようとしています。
 10数年にわたって親の養育行動と意識を調査してきた結果を分析すると,親の子育て自信はますます低下の一途をたどっています。そのことが家庭の教育力の低迷となって顕在化し,さらなる自信の凋落をもたらすといった子育てデフレスパイラル状態を呈しています。他方,高齢化の進展の中で跡継ぎとしての子どもを必要としなくなった親にも意識の変容が見られ,子どもを生きがいとする親は半数近くにまで急減し,「子どもは子ども」と理解のある親を自認しているようです。子どもの方でも従来の厳しく尊敬できる父親や優しく理解してくれる母親ではなくて,指導してくれる親という第三者的イメージを抱き始めています。
 親子関係がホットな情感に基づいたものからクールな契約的関係に変質し,個人的かつ本能的子育てが封印されて,普遍的かつ専門的な養育という新たな局面が登場して来ました。少子化の下では経験を生かすという手法は意味を失い,常に初心者である親の養育力を高める社会的な支援が緊急な課題です。
 青少年の健全育成に関する活動はそれなりに活発ですが,その核心である養育という概念が今ひとつ明確さを欠いています。学習機会や情報提供にしてもそれぞれは説得的ですが,常に中途半端であるという感想が拭い切れません。子育てとは一人の人間を創造する壮大な営みであるはずなのに,その大きなものの一部しか見ていないような落ち着きの無さを感じるからです。親は養育という概念の全体像を掴みたいという潜在的な欲求を持っています。健やかさの処方箋が求められています。
 健やかな養育の全体像を構築するためには,キップリングの詩「おれには家来が六人ござる。そやつがおれに教えてくれた。物事を知るすべを。そやつの名前を告げてやろう−どこ,なに,いつ,どうして,なぜ,だれ」が参考になります。育ちをこの六つの質問に答えるように考えれば,きっと全体像が浮かび上がるはずです。基本要素が明らかになれば,親には応用する力がありますから,きっと自信を取り戻してくれることでしょう。