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旅行3日目、
早朝3時から外のニワトリが鳴いて寝不足です。

ホテルの朝ごはん。
チーズ入りで焼いてもらったオムレツに、
カリカリベーコン、野菜にパンにバナナ、飲み物たくさん。

暑いから食べないとバテちゃいますからね。

 

まずは遺跡の入り口で写真を撮り
あっという間に3日間有効のパスポートが出来上がり。
3日で40USドル。
ネズミーランドなんかと比べたら安いけれど
カンボジア価格としてはかなり高いね。
点在する遺跡群をこのパスポートで全部見ることができます。
というか、このパスポートを見せないと
トイレすら利用することができません。

 

まず最初の遺跡は「アンコール・トム」の見学。
2世紀末~13世紀初めにかけて
ジャヤヴァルマン
7世を中心として建築されたもの。
自分の為に作った「アンコール・トム=大きな都城」

南大門の前で象さんお待ちかね。
乗ってる方は見知らぬカップルでございます。
ツアーの私達は現地ガイドさんの説明を
耳にはめるレシーバーで聞きながら歩いて入ります。

 

バイヨンの東門です。
真ん中の
入り口から入り、第一回廊を
左側から時計回りに進みます。

気温36度、じっとしてても汗が噴出しますが
遺跡の周辺は、石が熱を放出し、
遠赤外線でジリジリ焼かれるような暑さです。

 

第一回廊の東面南側レリーフ。
主なレリーフのモチーフはチャンパ軍とクメール軍との
戦闘場面が三段にわたって繰り広げられています。

 

現地ガイドさんが、繊細なレリーフを
要所要所しっかりと説明してくれます。
この巨大な遺跡郡を個人でまわったら
かなり見落としてしまいそう。

 

この写真は・・・第二回廊現かな。
第一回廊の内側、この当たりは大乗仏教から
ヒンドゥー教寺院へと改宗された時期に建てられたらしい。
かなり複雑な構造になっている。
中央祠堂では袈裟を着たお婆さんが
線香を持って配って(売って?)いる。
お賽銭として1ドル払ったら、
手首にミサンガを巻いてくれた。

 

 

観音菩薩像をイメージして作られたという四面仏塔。
ガイドさんに3つのお顔が入る写真のポイントだと
教えてもらって撮ったもの。

ガイドさん「京唄子さんに似ていますね」
ツアー客からドッと笑いがおこる。
若いガイドさんが京唄子を知っているとは思えないが
日本人受けするということで、テッパンなのだろう。

 

このお顔が一番有名な「クメールの微笑み」

ツアーの参加者の方から
「Miwaさん、似ているわよ」と言われた。

え~?

 

「クメールの微笑み」アップ。
どう、似てるかしら?

回廊から出て、今度は「バプーオン」へ。
両側の池のあいだの空中参道を通っていきます。
バプーオンとは「隠し子」の意味。

その昔、シャム(タイ)とクメール(カンボジア)の王は兄弟で
とても仲が良くて、シャムの王が自分の子をクメールに預けたいと
申し出ました。クメールの王は快く受けたのですが、
家臣らは「クメールを乗っ取るための策略に違いない」と、
その子供を殺してしまいました。
怒ったシャム王がクメールを攻めてきた際に、クメールの后は
自分の子を守るために子供を隠したのがこの寺院だということです。

 

遠くから見たときはこんなに大きいと思いませんでしたが
近づいてみると、かなり大きい。

この近くに王宮があったという「王宮跡」はあるが
木造だったため建物は今はその面影すら残っていない。

 

王のための寺院「ピアアナカス」
ジャヤヴァルマン5世が建立に着手した寺院で
三層のピラミット型をしていて
天空の宮殿と呼ばれていたそうです。

しかし、これは小さい。
バプーオンに比べたら、かなり小さい。
王のための寺院なのにね。

 

アンコール・トムの観光も終盤に近づいてまいりました。
ここは、「象のテラス」と
たぶん・・・奥が「ライ王のテラス」です。
違うかな。
あぁいい加減です。
この頃は正午近くで午前中の疲れのピーク。

 

 

近くからの「象のテラス」
象の頭と鼻がよくわかります。

 

 

アンコール・トムの観光を終えて、待望のランチタイムです。
まずは恒例、別料金の飲み物を決めます。
今回はアンコールビールの缶にしてみました。
ん、なかなか美味しいよ。

中華のジャンルに入るのだと思うけれど
カンボジアのテイストが、ちょいちょい入る感じ。
特に説明する内容も無い(疲れた)ので
写真だけいってみましょう。
品数が多いよ。

 

後半の料理にはニンニク満載!
午後は体からニンニク臭くなるんじゃないの?という量。

この後、アンコールワットクッキーと土産屋さんに寄ってから、一旦ホテルに戻るというスケジュール。
真昼間の猛暑はホテルでゆっくりして、休憩してアンコールワットの観光に向かうそうです。
お土産屋さんに置いてあった絵葉書に、虫が売られているものがあった。
「この虫、何にするのかな?」と添乗員さんと話をしていたら、現地ガイドさんがきたので聞いてみた。
「食べるんですよ、スナック、スナック!店の外にも売ってるから見てみますか?」
「見た~い」

これですよ。これ。←虫の苦手な人のために見たい人だけ。
手前の茶色のは・・・タガメ?その奥の黒いのは・・・何?
色、形はゴキブリっぽいけど、さすがにゴキブリは食べないだろうからゲンゴロウかな。
怖くてこれ以上は近づけないからわからん。その奥は・・・・へびだね?

まぁ、昆虫食って世界中にあるし、日本でもイナゴとか食べるからねー。(私は食べたことないけど)
食文化だから否定はしないけれど、今にも動き出しそうな大量な虫にはやっぱり、ひるむわー。
実はガイドさんも食べられないらしい。

食用に飼育してるかと聞いたら、夜に明かりをつけて網で捕まえるんだって。野生ですって・・・。 

 

 

私たちが虫を見てキャーキャー騒いでいたら
現地の兄ちゃんが寄ってきた。

「こうやって食べるんだよ!」とばかりに
黒い虫を手に取り、足をむしってパクっ。
うわわ、美味しそうに食べてるよ。

「食べてるとこ、写真にとっていい?」
「いいよ~♪じゃ、もう一匹」の瞬間。

果物を買って食べたいということで、ホテル近くの果物屋さんに寄ってもらう。
私は今回の旅で食べてみたい果物があったのだ。
それは、ランブータンとドリアンです。

 

 

ありました、ありました、ランブータン。
手前の赤いトゲトゲしたやつがそうです。
ビニール袋に10個ぐらい入れて
竜眼も10個ぐらい、ライチも10個ぐらい
マンゴーも1個、買ってみました。
全部で4ドルくらいだったかな。

ドリアンは切った後、時間が経つに連れて
匂いが強くなるのだということなので、
ここで切りたてを食べれば臭くないのではないか?

皆で1個を買って、ここで食べようということになる。

 

半分に切ったら、黄色い果肉が2つ。
私は鼻がいいので、十分に臭い領域なのだが
これくらいなら、問題なく食べられる。

食べてみると、とろりとした濃厚でクリーミー。
10人であっさり1個、完食。

ホテルに戻って、シャワーを浴びて
ちょっと休んで、今度はアンコール・ワットに出発だー!

アンコールワットの入り口にやってきました。
12世紀の初期スールヤヴァルマン2世が
ヒンドゥー教のヴィシュヌ神に捧げた寺院で

約30年かけて作ったもの。

まずは西参道を通っていきます。
両脇には王の沐浴のための大きな池があり、
ナーガ(蛇神)の欄干があります。

中央西塔門を抜けると・・・

 

 

こちらがヴィシュヌ神。
ガイドさんから何度も何度も聞くことになる神様。
4メートルほどあります。

メインの観光と言えるアンコールワットを午後にするのには
ちゃんと理由があって、
この遺跡だけ西が正面なので、
午前に写真を撮ると逆光になってしまうためだそうです。

 

 

 

アンコールワットの特徴のひとつがこのデヴァター。
女神を意味しているそうですが、
様々なポーズをとっているデヴァターが無数にあります。
西塔門から左右に延びる回廊には、
色が黒くなっていない綺麗なデヴァター。


西塔門からまた中央に山道が続き
(西塔門から東に伸びる西参道は長さ350メートル)
中央祠堂が真正面に見えます。
塔が3本見えますね。
しかし、この塔、5本なのです。
第3回廊の四隅と中央に塔があるのだが
正面からは四隅の2本が重なるため
3本のように見えるわけ。

もう少し近づいて左に移動してみましょう。

 

 

 

5本、見えましたね。西参道の左側の池に映るアンコールワット。
イメージしていた美しい遺跡がここに・・・という感じ。
実際に見る遺跡は、写真の何倍もの迫力を感じ、感動もあります。来てよかった。

 

さぁ、中に入りましょう。
左側の入り口からね。

まずは第一回廊を巡ります。
第一回廊の全長は800m。
とにかく36℃で湿度80%以上の炎天下の中を
朝からずっと歩き続きで体力消耗しています。
頑張れ、あたし。

第一回廊の内側壁面には、肉厚で綺麗なレリーフが最大の見所となっています。
ガイドさんからひとつひとつのレリーフについて説明を聞きますが、多すぎて覚えられません・・・。

「天国と地獄」
66メートルにもなる壮大なレリーフ。
三段構成になっており、上段が天国へと導かれる図、
中央段が人間がヤマ神(閻魔さま)に裁きを受けている図、
下段が地獄へ落ちる図、となっています。

地獄の図が下段にあるので一番よく見える。
「首を縄でくくられこん棒で叩かれる図」
「両腕を吊るされ、全身に釘を打たれる図」や
「火あぶり」や「舌を抜かれているような図」など。
恐ろしい恐ろしい。

数多いレリーフの中でも私がしっかり覚えてきたのは
←「乳海攪拌」全長49メートル。
ヒンドゥー教の天地創世の神話。
昔々、神々は不死の薬アムリタで不老不死になることを知る。
ヴィシュヌ神はこう告げた。
「神々と悪魔の両者で大海を攪拌すれば、アムリタが得られるであろう」

中央のマンダラ山にヴィシュヌ神。
マンダラ山に大蛇ヴァースキを巻きつけ、
左側をアスラを、右側を神々が引っ張り
山を回転させ、海を攪拌させているレリーフです。

乳海攪拌はこの後、アスラ(悪魔)は手伝わされたあげくに神に騙され、神が不死の薬アムリタを独り占めにしていくという間に
いろんなエピソードがある長い話なので、ここでは割愛しますが、一般的な「善と悪」から考えると釈然としない内容です。
神とアスラ、騙す神は善なのか、騙されるアスラは悪なのか・・・。
話を聞いて、アスラに同情的に感じてしまったのは、私だけでしょうか。

 

第一回廊から第二回廊へ向かう途中に
十字回廊の広場があります。
その名のとおり、回廊が十字型に交わっていて
区切られた空間には沐浴池が4つあります。
ここには1000体を超える仏像が置かれていたそうですが
現在は回廊に数体残すのみ。

1632年、肥州の武士「森本右近太夫」が
父の菩提を弔うためこの地を訪れ、
仏像4体を奉納し、その内容を墨で書き留めた柱。
言ってみれば森本右近太夫の落書き。
元は11行あったそうですが、後から墨汁で塗られてしまい
今は判読できません。

森本右近太夫は、この地を
「祇園精舎」だと思い込んでいたという。

 

十字回廊をさらに進むと一旦、外に出ます。
第二回廊です。

窓にはソロバン状の連子窓。
差し込む日の光が、長い筋の影を落とし
幻想的で、ひと時の静寂と安らぎを与えてくれる。

・・・・美しい。

 

 

さぁ、とうとうやってきました。
第三回廊です。
中央祠堂ももうすぐです。

中央祠堂は第三回廊の角にある4つの塔に
囲まれた中心にあります。
回廊は正方形をしており、一辺が60m。
中央祠堂の高さは47m。

 

第三回廊と中央祠堂に昇れない日もあるのです。
月に4~5日ほどある「仏教の日」に当たると
ここまで来て、昇れないっていうのだから悲しすぎる。
でも今日は大丈夫。
仏教の日ではありませんでした。

東西南北に第三回廊への階段は12箇所あるが
観光客が昇れるのは指定されています。
以前はどれでも昇れたそうですが、
さすがに70度の傾斜と階段の幅も浅くて
見るからに危なさ満載です。
柵で囲われて昇れなくしてあります。



 

これが私達が昇る階段です。
石で出来た本来の階段の上に
木で階段を作り、鉄パイプで手すりがかけられています。

入場制限がされ、一度に昇れる人の数が決められています。
入り口前で少し待ちます。

っ、昇るよ。
酷使している足にもう少し頑張ってもらいましょう。

 

ここにも連子窓
さっきとは景色が違います。
ジャングルが見えます。

 

そろばんが欠けている窓もあり・・・

 

遠くに気球が見えます。
自然な風が通り、ちょっぴり涼む。

 

さぁ、降りましょう。
実際は写真で見るより急に感じます。
手すりをしっかりと掴んで慎重に降ります。

 

またあった、美しいレリーフのデヴァター

 

日が少し傾いてきました。
これでアンコールワットの見学おしまい。

この後は、夕日を鑑賞しにマイクロバスで
ピラミット式寺院「プレ・ループ」へ向かいます。
予定ではプノンバケンの丘からの鑑賞予定でしたが
夕暮れ時に人が集中して大変危険だということで
変更されました。

「プレ・ループ」は961年にラージェンドラヴァルマン二世によりヒンドゥー教の寺院として建立。
四方にレンガで築かれた塔門を構え、そこを抜けると、死者をダビに付したという石槽が置かれ、火葬の儀式が行われていたと伝えられる。

ほんとだレンガだ。赤い。
手すりもない階段を昇っていきます。

この写真の直後、ツアーメンバーの50代の男性が、
階段で転んでしまいました。
ここはまだ急な階段ではなかったため
打ち身と擦り傷程度で大事には至りませんでしたが
猛暑の中一日歩き続け、体力がギリギリなうえに
足腰にも疲れがきているんだなーと実感。
私も今まで以上に一歩一歩、
気をつけて昇ることにします。

 

やっぱりあった、急勾配。

手袋をはめた手でしっかり石を確認しながら
ゆっくり、ゆっくりね。

 

上に昇ると夕日を待つ人たちが遺跡に座っています。
私も写真の右側の階段を昇り
座っていましたが、遠くからガイドさんから
こっちのほうが遺跡も夕日も同時に見られるよと
教えてもらい、階段を下りて
写真のさらに左の方に移動しました。

遺跡に腰掛けて、夕日を待つ間にガイドさんとプライベートでお話し。
「アンコール・ワットは、1860年にフランス人によってジャングルの中から「発見」されたことになっているけれど、
こんなに人がすぐ近くに住んでいるのに、誰も遺跡に気がつかなかったの?」と、ずっと思っていた疑問を投げかけてみた。
「いや、みんな遺跡の存在は知っていたんだ。ただ、遺跡がそこにあるというだけで、誰も宝物だと思わなかったんです」と。
そして、「昔はこんなパスポート(入場料)のお金を出して買わなくても、自由に入れて見ることもできたのに・・・。」と悲しそうに言った。
「でも、そのパスポートのお金のおかげで、修復も出来るし、カンボジアも潤うでしょ?」と言うと、
「いいや、あまり知られていないことだけど、このパスの代金は、SOKHA HOTELに入るんだ。」
意味が分からない・・・・。どういうこと?と突っ込んで聞くと、
「カンボジア政府はお金に困って、アンコールワット遺跡を丸ごと、ベトナム出資のホテル「
SOKHA HOTEL」に売っちゃったんだ」
え、え?さらに分かんない・・・。
「世界遺産になる前に、価値があるものだと知らずに売っちゃったの?」
「いいや、世界遺産になってからだよ。価値があると知ってて売ったんだ。ほらパスポートにホテルの名前が入っているだろう?」って。
私の首に下げられているパスポートを見ると、たしかに「
SOKHA HOTEL Co.LTD」って書いてある。
「パスポートを売っていた人も、チェックしてた人も、みんなホテルの従業員だよ」と。
それって・・・・日本でいえば、京都や奈良の文化財を、韓国のホテルに売ってしまい、韓国のホテルが管理してるってことでしょ。
ありえない・・・・。なんでそんなことが・・・。
ガイドさんは「この話をガイドになって知らされた時、悲しかった・・・。同時に恥ずかしいと思った」と語ってくれた。
カンボジア政府には、資金がなく、また観光を取りまとめ管理・維持していく資金とノウハウが無いので、手っ取り早く売ってしまったらしい。
売るのではなく、業務提携とか、もっと違った形があっただろうにと思うが、悲しい話だ。
SOKHA HOTELに入った収益金の一部は、遺跡の修復やインフラ整備にも使われるとのことだが。

 

カンボジアが取り戻すことは出来ないのか。
待つこと
数分、夕日が赤くなり始めました。

 

だんだん辺りも赤くなり出して・・・
カメラも夕日モードに変更してみよう。

 

暗くなるとライトなどがないため真っ暗になって危険なので、急いで急勾配の階段を降り、バスに戻ります。
次は夕食です。
遺跡のレリーフにも施されていた、宮廷舞踊Apsaras(アプサラ)を見ながら食事をいただくのだそうです。
オープンエアーの店内の前には、ステージがあり、壁に沿ってビュッフェ形式のクメール料理が並んでいます。

 

"Angkor Mondial Restaurant"
(アンコール・モンディアル・レストラン)

飲み物は、アンコールの生ビールを。
沢山
ある煮物や揚げ物の中から
美味しそうなものをいくつかピックアップ。
鶏の手羽の焼き物とか
日本人にも食べやすい、あっさりした味付けです。

ある程度、食事が済むと、ダンスが始まりました。
私たちの席は中央の前のテーブルで、
ダンスがよく見えるいい席でした。

前列で踊っているメインのダンサーは
後ろの子と違って、関節や指がものすごく柔らかく
ひとつひとつのポーズが、とにかく美しい。

 

 

マイクロバスでホテルに戻り、
K子さんを私の部屋にお呼びして、
部屋の冷蔵庫で冷やしてあってフルーツを食べます。

手前からライチ、ランブータン、竜眼、
ミカン、マンゴー。

こういうフルーツがずっと食べたかったのに、
ホテルの朝食にはほとんど出てこないの。
珍しいフルーツを満喫できてウレシイ。

明日は、日の出を見に行くので
早起きするので、もう眠ります。
お休みなさい。

 


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