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旅行4日目、早朝4時。
もともと仕事の関係で早起きなのだが、この日は1時間 間違えて4時に起きてしまった。
間違えに気づいたけれど、二度寝は危ないので、NHKのテレビを見ながら待つ。
5時20分、ホテルのロビーに行くと眠い目を擦りながら、皆さん続々と集まって、5時半まだ真っ暗だけど、出発です。

途中、マイクロバスで昨日も通った小児病院の前を通る。
この病院へ通うために、遠くから母親が子供を連れてやってきて長い列をつくると聞いていた。
それでも一日の人数が決まっていて、診てもらえないことも多いのだそうだ。
この日も早朝の真っ暗の病院の前に、長い列をつくって母親と子供が待っていた。
「徹夜で、病気の子供が母親と待っているんです」
具合の悪い子が、何時間も外で待たなくてはならないなんて・・・。
真っ暗な中に、車のライトで子供達が並んでいる姿が浮かび上がる。胸が痛い。

アンコールワットに到着。
西門から入ったところで、ツアーメンバーは一旦解散し、各自、ここぞと思う場所で日の出を待つのだ。
私はK子さんと共に、アンコールワットの左側の池の前にします。
あたりはだんだんと白んできて、しばらく経つと太陽が雲の切れ間から顔を出しました。

 

ほんのわずかな間だけの赤い世界。
美しい。
たぶん・・・一生、忘れない。

実は、池のまわりはこんなに人・人・人。

 

 

すっかり明るくなりましたので、ホテルに戻って、
朝ごはんを食べましょう。

昨日は曇っていて見られなかったというから
今日は、見られてよかったよかった。
日頃の行いが良い証拠だね〜と、みんな上機嫌。

 

こんなに朝から食べたの?って言わないで。
この後、しっかりコーヒーも飲んでいます。

今日も一日、とてもハードな日程ですので、
これくらい食べておかないとね。

 

ホテルを出発し、マイクロバスに揺られること1時間。
クメール美術の至宝と言われる
バンテアイ・スレイ(女の砦)の見学です。
ジャヤヴァルマン5世の師範のヤジャニャヴァラーハが建立。
アンコール期前半の古い寺院だけれど
シュムリアップの中心から36kmも離れているため
長い間 発見されず、1914年の山火事によって
発見された遺跡です。
ところどころ黒くなっているのはその火事のせいだとか。

珍しい赤色砂岩で作られていて
「東洋のモナリザ」と呼ばれる
デヴァター像があることで有名です。

まずは東門。

 

深く刻まれた模様は細かくて、とても美しい。

ロープが張られていて、これ以上近づけない。
台の上に座っているカッパのような4体。
左の子の頭が無いのであるが、
これはほんの数日前、夜中に盗まれたのだそうだ。

しかし、これはレプリカ。
本物は博物館に保存してあるというから、
盗人もアホですね。
ここでは、1923年、フランスのアンドレ・マルローという作家も
レリーフを盗もうとして捕まったそうですよ。

 

 

「東洋のモナリザ」は遺跡の合間から
カメラで撮影するのみ。
ドアの両側にいるのがデヴァター像です。

 

クローズアップしてみましょう。
優しい表情で、指が柔らかいですね。

1時間かけてシュムリアップに戻りましょう。

 

ランチの時間です。
アマゾン・アンコールというレストラン。

アモック(魚のココナッツ風味蒸し)という
クメール料理と、カンボジアの名物カボチャプリン
カンボジアのスープカレーみたいなのがいただけまーす。

また、ビールを頼みました。
写真はいっぺんに。

午後の観光の最初は「バンテアイ・クデイ」
12世紀末〜13世紀はじめ、
ジャヤヴァルマン7世が仏教寺院として再建。

ここでは上智大学の調査団チームが
土に埋まった仏像を274体も発掘したところです。

ここにもデヴァターがあります。
あちこちの崩れそう(崩れた)ところに
つっかえ棒がしてあります。
早急な修復が必要です。

次は、「タ・プローム」。
ジャヤヴァルマン7世が母の菩提を弔うために建立した
大乗仏教の僧院。
1万2640人が住んでいたとガイドブックに書かれてますが
どうやって数えたのかしら?

長い間ジャングルの奥地で放置されていたため、
鳥が落とした糞の中にあったガジュマルの種が
根を伸ばして、遺跡を侵食しています。

 

屋根の上に落ちた種から、下に向かって根を伸ばしていったのだそうです。
写真では切れてわかりませんが、このガジュマル木は、上にも幹を高く伸ばして大木です。
アンジェリーナ・ジョリーの映画「トゥーム・レーダー」の舞台にもなった遺跡です。

遺跡の内部もかなりひどい状態で、
石が崩れ落ちています。
いたるところが鉄のパイプで補強してあります。

今にも頭の上から崩れてきそうで、ちょっと怖い。

 

 

ここも根っこが伸び放題です。
大きな崩れた石もほったらかし。

この矢印のところ、見えますか?
肉眼でも見えるか見えないかなのですが、
望遠レンズで見ると、こんな感じ。
次の写真をご覧ください。

 

 

 

仏像を包み込むような状態になっていました。
こんな状態でもお顔だけ見せて微笑んでいる。

思わず手を合わせてしまいます。


ひとり旅なので、自分の映りこんだ写真は少ないのですが
これはガイドさんが写真を撮ってくださいました。

網目のような根っこに侵食されています。
写真右側の入り口も傾いていて、
今にも崩れてきそうです。

意見が分かれているのだという。
ガジュマルの木が遺跡を破壊している・・・
ガジュマルの木が遺跡を守っている・・・
おそらく、どちらも正解。
もはやガジュマルとの共存しか道はなさそうだ。
どこで帳尻を合わせていくか。

 

 

 

 

つぎは「タ・ケウ」。
「クリスタルの古老」という意味なのだそうです。

ここがツアーの見学に含まれているのは珍しいそうで
添乗員さんも「私も初めてです」とおっしゃっていました。

1000年ごろ、ジャヤヴァルマン5世の国家寺院として建てられたが
王の死によって建設が中断されて未完成のまま。
そのため、当時の寺院がどのようにして建てられたのかを
知ることができる貴重な遺跡なのだそうです。

 

 

うわわ、また階段です。
この写真じゃ、伝わらないと思うが、
傾斜80度だってさ。
さすがに「もう昇れない」というメンバーが多くて
昇らない方たちは、下で休憩しているとのこと。

少し迷いましたが、
私は頑張って昇ってみることにしました。

 


手すりもないし、一段の石の高さがあるのに、
幅は狭くて、足の幅とほぼ同じ。
横を向いて昇ります。

少し前、この階段から落ちて首を折り
死者が出ているそうです。
慎重に、慎重に。

帰りはもっと怖そうだ。

 

なんとか昇りきって、中央祠堂。
現地のオバサンが金色の仏像の前に座って
にこやかに微笑んで一緒に座るよう導かれ、
吸い寄せられるようにお線香を手向けました。
お賽銭として1ドルを手渡すと
私の右手にミサンガを巻いてくれました。
ものすごく優しい笑顔だった。

この写真は中央祠堂で出会った
アメリカ女子が撮ってくれたもの。
お互いに写真を撮り合いニッコリ。

階段を下っていくと、行きに「帰りに買って」と言っていた
絵葉書売りのひとりの少女と目が合いました。
カンボジアでは子供にわずかな日銭を稼がせて、
学校へ通わせていない親が多いのです。
未来のため教育を受けさせるべきだと思うのですが、
貧しい暮らしでは、そんなことを言ってられない現実があるのでしょう。
子供の意思ではないと分かっていながら、子供には
「学校へ行きなさいよ」と言い続けてきたのですが、
なぜかこの子には言えませんでした。
目が大きくピンクのワンピースが印象的な子。
絵葉書の中から「タ・プローム」を選び1ドルを渡すと、
満面の笑みで胸の前で合掌してみせ、
嬉しそうに飛ぶように駆けて帰っていきました。

王様の沐浴場として作られた人工湖「スラスラン」を見て、
最後にアンコール・ワットに立ち寄り、
お別れを言って、空港へ向かいます。

アンコールワットを売ってしまった政府、
警官は「警察バッチ買いませんか?」観光客に売ろうとする。
不正も賄賂も当たり前の社会。
一日1ドル以下で生活している人が1/4以上を占めるという国。
どうにか出来ないものなのか。
ずっとずっと考え続けていたカンボジア滞在。

 

ガイドさんは何度も「自分が学校に通えたのは日本のおかげ」、学校も教科書もすべて日本の援助によるものと感謝を語ってくれた。
日本人は遺跡の修復に関しても、どの国よりも素晴らしいと褒めてくれた。
現在は各国がアンコールワットの修復に携わっているが、日本が修復したものが何といっても一番すごいのだと。
建てられた時のように忠実に戻す、土が詰まっていたところには同じように土をつめ、何百年も耐えるように元に戻す。
フランスなどは安易にコンクリートで固めてしまうのだそう。コンクリートは50年ほどしかもたないのに・・・。
カンボジア人もそのことに気づいていて、一番メインになる目立つ部分の遺跡は日本に修復を依頼しているらしい。
日本人として誇らしいが、そういう技術はカンボジアの人たちに伝えられないものかとも思う。

ベトナムの首都、ハノイまで飛行機で1時間ほど。
本日の宿泊先のハロン湾までは観光バスで3時間半。ホテルの到着したのは深夜でした。

4時起きでスタートして長かった4日目が終了。お疲れ様〜。

 


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