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パリ滞在4日目の火曜日の朝、
時間に余裕を持ってホテルを出たので、
オペラの「マイバス」に集合時間の1時間前に到着した。
早いのはいい、本を読んでいればいいのだから。 ゆったりシートのバスでモン・サンミッシェルと
ポント・オードメール1日観光ツアー
<昼食&夕食付き>
日本人ガイド&ガイドレシーバー付き。 ひとり参加は私以外に30代の女性ひとり。
さー出発!
そうそう、正露丸の成果は抜群です。
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モンサンミッシェル付近の天気予報は雨。
雲行きも怪しくなってきました。
雨女だから仕方ないか。
本を読んだり、ウトウト居眠りしながら約4時間。
遠くにモンサンミッシェルが見えてきました。
バスは右側の席がいいと思います。
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おっ、羊の群れ。
羊越しのモン・サンミッシェル〜♪
これこれ、私のイメージしていたモン・サンミッシェルは
まさにこんな感じ。 ビュンビュン飛ばすバスの窓越しに
ポストカードのような写真は撮れないけど
それでも、ちょっとウレシイ。
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HOTEL
RELAIS ST MICHEL到着。
対岸ホテルを代表するエグゼクティブな4つ星ホテル。
今日はランチのみだけど、ほんとは
このホテルに泊まりたかったんだー。
部屋からはモン・サンミッシェルが見えるんですよ。
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HOTEL
RELAIS ST MICHELのレストランからの眺め。
写真で見るより実物のほうがもっと近くに感じます。
レストランには、いろんなツアーのお客さんが
ツアーガイドさんに連れられて
大人数で入ってきて、ツアー客ごとに
一斉に食事がスタートします。
ツアーの食事はどんなかな?
名物のシードルと、りんごジュースが出て
ツアーの皆さんと乾杯!
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こちらモン・サンミッシェルの名物のオムレツ。
本家は島内にあるプラールおばさんのお宿
「ラ・メール・プラール」で19世紀後半に
命がけでやってきた巡礼者たちに
栄養があってお腹がいっぱいになるものをと考えて
泡立ててフワフワにしたオムレツを出すようになったそうです。 このホテルで食べたオムレツがホントの味かどうかは
「ラ・メール・プラール」で食べてないので分かりません。
フワフワのたまごって感じで味は薄いです。
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サーモン。 野菜の盛り付け方が雑で
早く作ることだけに拘ったと思われる一品 でもサーモンは普通に美味しかった。
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デザートはリンゴのケーキ。
ジャムのソースがチープな雰囲気にしてしまってます。
残念。 一番美味しかったのは、シードル・・・かな。
レストランの食事を終えて、マイクロバスに乗り換えます。
現在は島にかかる橋の工事期間中。
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天気が怪しい。今にも雨が降りそう。
バッグからそっと、かまこ姐さんの写真立てを取りだす。
「姐さん、モンサンミッシェルだよ、とうとう来たよ」
2009年の夏、ここへ二人で来るはずだった。
計画が半分ぐらい進んだ頃、姐さんの病気がわかった。
初期だから手術をすれば治るとのことだったので
旅行は延期して治療に専念したほうがいいと思い
「モンサンミッシェルは逃げないよ」
そう私が提案して、姐さんも納得して旅行は延期をした。
元気になったら、絶対一緒に行こうと約束して。
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しかし、手術をしてみたら初期ではなく、
病気はどんどん悪くなる一方で、
姐さんはモンサンミッシェルへ来ることが出来ぬまま、
翌年、遠い遠い別のところへ旅立ってしまった。
「無理しても手術前に行っておけばよかったな・・・」
病気が悪化してから姐さんが呟いた一言が
ずっと私の胸に突き刺さったままだった。
良かれと思って提案したことだけど結果的に
姐さんにモンサンミッシェルを見せてあげられなくなってしまった。
もちろん姐さんは一度も私を責めたりしなかったけど、
私は後悔と自責の念をずっとずっと持ち続け
そのことを自分の中で消化できずにいました。
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そんな時、「姐さんの写真を持ってモンサンミッシェルに行く」
この旅を後押ししてくれたのがPMさんでした。「姐さんの写真を持ってモンサンミッシェルに行く」
そんなこと私は考え付かなかったけれど、
写真と一緒に行けば、約束を果たせるんだ。 「かまこさんからMiwaちゃんを引き継いだ感じがする」と
そう言ってくれたPMさん・・・・。ありがとう。 さ、涙は拭いて。
姐さんも私と一緒に島に入ります。
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島の中は1本道で、両側におみやげ物屋さんや
レストランで賑わっています。
ここは「ラ・メール・プラール」
さきほどのオムレツの元祖。
ホテルも今も健在。
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「ラ・メール・プラール」のホテルの入り口かな。
2階の下が通路になっているようです。
その下をくぐります!
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暖かい感じの看板。 グランド・リュー通りの
両側に店が並んだ間を行くとき、
なんとなく江ノ島に似ていると思ったのは
私だけではないはず。
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だいぶ上まで上がってきました。
ずっと干潟が続いています。
今日の満潮時刻は7:17と 19:42。 「モンサンミシェルに行くなら遺書を書いていけ」
高潮時と干潮時の差が大きく、
またたく間に潮の満ち引きがあるため
大昔は命を落とす巡礼者が後を絶たなかったそうです。
でも今はありがたいことに、安全に見学することができます。 708年に大天使ミカエルのお告げを受けた聖オベールが
小さな聖堂を建立したのが始まりです。
聖ミカエル信仰が作らせた修道院で
聖ミカエルは最期の審判を司っているので、
天国に行きたい巡礼者が、命がけで参拝したのです。
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さぁ、修道院の中に入ります。
ここからさらに90段の階段をのぼって・・
最初に建てられた小さな聖堂の後に
様々な増改築が繰り返されたため、
とても複雑な造りになっています。
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まだまだ階段。
見上げると、なんか随分と上の方に
渡り廊下のように繋がってる。
↓
増改築された様子が下の模型の写真で分かるかな?
岩山の上なので場所は広げられないため、
どんどん上に上に増築されたため
下の方は古いロマネスク建築、
後半に建てられた部分はゴシック建築で
内部で複雑に入り混じっています。
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大聖堂の内部
私が写真を撮ってる場所はロマネスク建築で、
厚い壁に、二重のアーチ型の小さい窓。
写真の右側の窓が沢山あるところは
後に作られた部分なので
ゴシック建築で、天井が高く、窓が大きく多い。
最初は修道院として建てられたけれど、
14世紀の百年戦争時代は要塞、
フランス革命時代には牢獄、
数々の激動を経て、今はまた修道院として
世界中の人を迎えてくれています。
聖ミカエル像。
最後の審判で「天国行き」か「地獄行き」かを決めるため
死者の心臓の重さを量る天秤を左手に持つ。
天国に行けますように。
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「ラ・メルヴェイユ」
13世紀に修道院の居住空間として
建てられた部分です。
ラ・メルヴェイユとは「驚嘆」の意味だそうで、
ゴシック建築の傑作なんですって。
花のモチーフで飾られたアーチ、
そして中庭の緑と花。
ほっと一息できる、安らぎのスペース。
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聖ミカエル像。
これはレプリカとかって聞いたような?
さっきの礼拝堂の像とかなり違う印象です。
青年になってて、いきなり勇ましいんですけど・・・。
心臓の重さを量るという天秤はどこへ?
どっちがホントの姿?
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モン・サンミッシェルの真ん中の尖塔。
てっぺんには高さ4.2mの黄金に輝く大天使ミカエル。
またまたミカエルですよ。 1897年に設置されたもので、
長剣を振りかざして立っているそうです。
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1863年まで国の監獄として使われた頃の名残。
食料などの物資を運ぶ為に使われた
荷揚げ用の大きな大きな滑車です。
ほんとに大きいです。
ハムスターが夜な夜なクルクルと回し車を回すように、
数人の囚人が中に入って滑車を回すことで、
外からの物資を上へと運び上げたのだそうです。
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帰りは壁のルートで降りてきます。
またひと味違う修道院や、レストランの雰囲気が見られます。
海もよく見えるので、帰りも楽しい。
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そろそろモンサンミッシェルともお別れです。
モンサンミッシェルを見上げ
姐さんとの約束を果たせたことに感謝しました。
心も軽くなった感じです。
次に訪れるチャンスがあれば、ぜひ一泊して
夕刻の姿、夜のライトアップされた姿を見てみたいです。 4時間半かけてパリへ帰ります。
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帰りに寄った村は、
Pont-Audemer
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「ノルマンディのベニス」と呼ばれる
古い木組みの家が並ぶ運河の小さな村
ポン・トードメールへディナーを兼ねて立ち寄ります。
エルメスなどの
皮なめし職人が修行する村だとか。
木組みの家の間を運河が流れています。
静かでとてもかわいい村です。
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木組みのレストランの上でディナーをいただきます。
歩くとギシギシと音が鳴ったりして雰囲気ある〜。
ノルマンディの田舎料理の鶏のクリーム煮をいただきます。
写真を撮り忘れてしまいましたが
まあ、ツアーの普通の食事という印象でした。
別料金3ユーロで白ワインをグラスでいただき、
帰りのバスの中で、眠って帰りましょー♪
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パリに戻ってきたのは22時半ぐらい。
エッフェル塔が近くに見えるルートだったので、ちょっとウレシイ。
4日目、無事に終了。明日も楽しもう!
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