1181年 (治承5年、7月14日改元 養和元年 辛丑)
 
 

8月1日 乙巳 天陰 [玉葉]
  伝聞、前の幕下、その勢逐日減少す。諸国の武士等、敢えて参洛せず。近日貴賤の領
  を奪い、勇武の輩に賜う。先々に万倍す。然れども、その郎従等忿怨に随い、或いは
  違背の者有り。凡そその心を得ず。恐運報傾かと。また聞く、去る比、頼朝密々院に
  奏して云く、全く謀叛の心無し。偏に君の御敵を伐たんが為なり。而るにもし猶平家
  滅亡せられざれば、古昔の如く源氏・平氏相並び召し仕うべきなり。関東源氏の進士
  と為し、海西平氏の任意と為す。共に国宰に於いては、上より補さるべし。ただ東西
  の乱を鎮めんが為、両氏に仰せ付けられて、暫く御試有るべきなり。且つは両氏王化
  を守らば、誰か君命を恐れんや。尤も両人の翔を御覧すべきなりと。この状を以て、
  内々前の幕下に仰せらる。幕下申して云く、この儀尤も然るべし。但し故禅門閉眼の
  刻、遺言に云く、我が子孫、一人の生残者と雖も、骸を頼朝の前に曝すべしと。然れ
  ば、亡父の誡め用いざるべからず。仍ってこの條に於いては、勅命たりと雖も、請け
  申し難きものなりと。この事最も秘事なり。人以て知らずと。以上の事等、兵部少輔
  尹明密語する所なり。
 

8月2日 丙午 天晴 [玉葉]
  伝聞、駿河の国より上洛の下人(大膳大夫信兼の郎従、即ち件の人、知行の庄沙汰者
  と)の説に云く、頼朝朝臣の儲けと称し仮屋数宇を造作す。凡そ路次の国、粮米経営
  の外、他事無しと。
 

8月6日 庚戌 早旦甚雨、終日陰 [玉葉]
  関東の賊徒猶未だ追討に及ばず。余勢強大の故なり。京都の官兵を以て、輙く攻め落
  とし難きか。仍って陸奥の住人秀平を以て、彼の国の史判に任ぜらるべきの由、前の
  大将申し行う所なり。件の国、素より大略虜掠す。然れば、拝任何事か有らんや。ま
  た越後の国の住人平助成、宣旨に依って信濃の国に向かう。勢少なきに依って軍敗れ
  てえり。
 

8月8日 壬子 天晴 [玉葉]
  伝聞、能登の国、如法反きをはんぬ。国司の郎従、頸を斧られをはんぬと。
 

8月12日 丙辰 天晴 [玉葉]
  伝聞、足利の俊綱頼朝に背くの聞こえ有り。また秀平官軍に與力の心有りと。茲に因
  って、京中の武士、昨今の間、聊か雄を称すの気有ると。頼朝、秀平の聟たるの條謬
  説と。また聞く。頼朝甲斐保田の三郎義貞を伐ちをはんぬ。異心の聞こえ有るが故と。
 

8月13日 丁巳
  藤原秀衡、武衛を追討せしむべきなり。平資永、木曽義仲を追討すべきの由宣下す。
  これ平氏の申し行うに依ってなり。
 

8月15日 己未
  鶴岡若宮遷宮。武衛参り給うと。今日平氏但馬の守経正朝臣、木曽の冠者を追討せん
  が為、北陸道に進発すと。

[玉葉]
  去る夜、除目有り。隆職これを注進す。
    陸奥の守藤原秀衡
    越前の守平親房
    越後の守平助職
  この事、先日議定有る事なり。天下の恥、何事かこれに如かずや。悲しむべし。大略、
  大将等計略を尽くしをはんぬか。この中、親房の事心得ず。通盛国司として下向す。
  忽ち他人を任ぜらる。如何々々。

[吉記]
  朝間、前の大将より示し送らるる事有り。秀衡・助職等の事なり。相次いで院宣到来
  す。子細同前。
   太政官謹奏、
    陸奥国   守従五位下藤原朝臣秀衡
    越前国      守従五位下平朝臣親房
    越後国   守従五位下平朝臣助職
       養和元年八月十五日
  親房は、基親息、前の近江の守なり。秀衡・助職の事人以て嗟歎す。
  今朝、北陸道追討使但馬の守経正朝臣進発す。郎従五百騎ばかりを率すと。
 

8月16日 庚申
  中宮の亮通盛朝臣、木曽の冠者を追討せんが為、また北陸道に赴く。伊勢の守清綱・
  上総の介忠清・館の太郎貞保、東国に発向す。武衛を襲わんが為なり。

[吉記]
  今朝中宮の亮通盛朝臣北陸道の追討使として進発す。駒牽無し。信乃の国逆徒の為掠
  領せらるが故なり。
 

8月23日 丁卯 天晴 [吉記]
  伝聞、伊豫の国の在廰川名大夫通清誅伐せらると。
 

8月26日 庚午
  散位康信入道、また飛脚を進し申して云く、今月一日福原より帰洛す。而るに去る十
  六日、官軍等東方を差し発向す。尤も用意を廻らさるべきかと。
 

8月27日 辛未
  渋谷庄司重国次男高重、無二の忠節を竭すの上、心操せの穏便を感ぜしめ給うに依っ
  て、彼の当知行渋谷下郷所済の乃貢等、免除せらるる所なり。
 

8月29日 癸酉
  御願成就の為、若宮並びに近国の寺社に於いて、大般若・仁王経等を転読せしむべき
  の旨仰せ下さる。この内長日の御祈祷を致せしむべきの所々これ在り。鶴岡宮に於い
  ては、兼日その式を定めらる。伊豆・筥根両山に至りては、今これを仰せらる。注文
  は各々一紙彼の山に送り遣わさると。昌寛これを奉行す。
     御祈祷次第の事
   毎月朔   大般若経一部  衆三十人
   毎月朔   仁王講百座   衆十二人
   長日    観音品     衆百人。毎日一人宛
   四季    曼茶羅供    衆四人
   右御祈祷注文件の如し
     治承五年八月晦日