1181年 (治承5年、7月14日改元 養和元年 辛丑)
 

10月3日 丙午
  頭の中将維盛朝臣、東国を襲わんが為城外に赴くと。
 

10月4日 丁未 天晴 [玉葉]
  伝聞、来十一日、知盛・清経等越前の国に向かうべし。重衡東国(東海道・東山道)
  に赴くべし。維盛昨日近江の国に下向す。これ猶北陸道を襲うべきの手と。頼盛卿、
  紀伊の国に下向すべしと。
 

10月6日 己酉
  走湯山の住侶禅睿を以て、鶴岡の供僧並びに大般若経衆に補す。免田二町(鶴岡西谷
  に在り)の御下文を給うと。また玄信大法師を以て同職に加えらる。最勝講衆に於い
  ては、長日役に従うべきの旨仰せらると。
  定補
   若宮長日大般若経供僧職の事
    大法師禅睿
  右の人を以て、大般若経供僧と為す。長日勤行せしむべきの状件の如し。
    治承五年十月六日

  定補
   若宮長日最勝講供僧職の事
    大法師玄信
  右の人を以て、最勝講衆と為す。長日の役、勤仕せしむべきの状、仰せの所件の如し。
    治承五年十月六日

[玉葉]
  伝聞、海道・山道、共に奥より、武士等出来するの由風聞すと。
 

10月10日 癸丑 天晴 [玉葉]
  或る人云く、越前・加賀等の武士、切り塞ぐ所の路を開く。国内無人と。若くは官兵
  を引き入るべきの謀か。還って怖れ有るの由、人々云いせしむか。明日官軍の下向延
  引す。来十三日と。先日定めらる所の手々相違し、知盛卿下向せずと。北陸道、知度
  ・清房(以上故禅門子息等なり)。この外、重衡卿・資盛朝臣等、野宇美越ニ同じく
  北陸に向かうべしと。維盛・清経等の朝臣、海道・山道を兼ねるべし。頼盛卿息二人、
  熊野方を襲うべし。前の幕下・教盛・頼盛・経盛等、洛中を護るべし。已上の勢、相
  並び五六千騎に過ぎず。而るに手々に相分ち、各々行き向かわば、京中の武士僅かに
  四五百人か。頗る恐る所無きに非ずと。
 

10月11日 甲寅 陰晴不定 [玉葉]
  伝聞、熊野の行命法眼(南法眼と称す。熊野の輩の中、ただ一人官軍に志有る者なり)、
  上洛せんと欲するの間、散々伐ち落されをはんぬ。僅かに身命を存すと雖も、子息郎
  従一人残らず伐ち取られをはんぬ。その身山中に交わると雖も、安否猶不定と。これ
  志賀在廰の者の所為と。今に於いては、熊野方一切異途無く一統しをはんぬと。また
  聞く、追討使等、今日の下向延引す。来十三日猶未だ一定せずと。越前の国無人の由
  聞こえ有り。謬説と。殆どその勢数万に及ぶの由、今日逃げ上る所の下人、談説せし
  むと。
 

10月12日 乙卯
  常陸の国橘郷を以て、鹿島社に奉寄せしむ。これ武家護持の神たるに依って、殊に御
  信仰有りと。
   奉寄鹿島社御領
    常陸の国橘郷に在り
   右心願成就の為、奉寄する所件の如し。
     治承五年十月日        源頼朝敬白
 

10月13日 丙辰 陰晴不定 [玉葉]
  今日、追討使等下向すべしと。而るに延引す。来十六日と。伝聞、吉野の法師原、高
  野(座論の由を称す)に向かうべきの旨、風聞を成す。その実、南都に打ち入り、平
  家の郎従等を誅伐し、その後入洛すべきの由謳歌す。この條、実否を知らずと雖も、
  衆徒蜂起に於いては一定と。
 

10月16日 乙未 天晴 [玉葉]
  或る人云く、貞能鎮西を平らぐの輩を召し具し、上洛すべしと。また秀平の許に遣わ
  す所の大宮亮、使者を献じ、秀平官軍方に候すべきの由、領状を進すと。
 

10月20日 癸亥
  昨日、太神宮権の禰宜渡會光倫(相鹿の二郎太夫と号す)、本宮より参着す。これ御
  祈祷を致さんが為なり。今日御願書を賜う。武衛対面し給う。光倫申して云く、去る
  月十九日、平家申し行うに依って、東国帰往の祈請の為、天慶の例に任せ、金鎧を神
  宮に奉らる。奉納以前、祭主親隆卿嫡男神祇少副定隆、伊勢の国一志の駅家に於いて
  頓滅す。また件の甲奉納を致すべき事、同月十六日京都に於いて御沙汰有り。その日
  に当たり、本宮正殿の棟木に蜂巣を作り、雀小さき蛇の子を生む。これらの怪に就い
  て先蹤を勘ずるに、朝憲を軽んじ、国土を危めるの凶臣、この時に当たり敗北すべき
  の條、置いて疑い無してえり。仰せに曰く、去る永暦元年出京の時、夢想の告げ有る
  の後、当宮の御事、渇仰の思い他に異なり。所願成弁せば、必ず新御厨を寄進すべし
  と。
 

10月27日 庚午 陰晴不定 [玉葉]
  或る人云く、頼朝必定すでに上洛を企て、去る二十一日尾張保野宿に付くべきの由と。
  然れども、両三日延引か。いかさまにも入洛は決定、竹園に於いては、相模の国に留
  め奉る。上総の国住人廣常(介の八郎と称す)を以て守護し奉ると。行家すでに尾張
  国内に入ると。また聞く、北陸道去る二十四日襲い攻めんと欲す。然れども、無勢に
  依ってまた延引す。年内合戦に及ぶべからずと。