1205年 (元久2年 乙丑)
 
 

2月11日 己亥
  将軍家鶴岡八幡宮に御参り(年首初度)例の如し。
 

2月12日 庚子
  去る月二十九日の除書到着す。将軍家右中将に任ず。加賀の介を兼ねしめ給う。善信
  この聞書を御前に持参す。
 

2月17日 乙巳
  将軍家鶴岡に御参り。これ羽林拝賀に用いしめ給う。相州・駿河の守以下数輩供奉す。
  安達右衛門の尉景盛御劔を持つ。
 

2月21日 乙卯
  武蔵の国土袋郷乃貢は、永福寺住侶等の供料に募らるる所なり。遠州下知し給うと。
 

2月22日 [出羽中條家文書]
**関東下知状
  下 相模国南深澤郷住人
    早く故和田三郎宗實が譲状に任せ、高井太郎重茂を以て地頭職たるべき事
  右人、故大将殿御下文等を相具す。給田拾五町、彼の宗實の手より譲り得る所なり。
  てえれば、その状に任せ地頭職たるべしてえり。鎌倉殿の仰せに依って、下知件の如
  し。以て下す。
    元久二年二月二十二日      遠江守平(花押)