1205年 (元久2年 乙丑)
 
 

1月1日 己未
  遠州椀飯並びに御馬・御劔以下を献らる。
  その役人
   御劔      小山左衛門の尉
   御弓征箭    三浦兵衛の尉
   御行騰沓    足立左衛門の尉
   御馬五疋
    一疋  佐原の太郎    長井の太郎
    一疋  筑後の六郎    同九郎
    一疋  足立の八郎    春日部の次郎
    一疋  長沼の五郎    結城の七郎
    一疋  相馬の五郎    東の平太
 

1月3日 辛酉
  千葉の介椀飯を献る。その後御弓始めの儀有り。射手六人、二五度これを射る。
   一番  和田の平太    藤澤の四郎
   二番  佐々木の小三郎  古河の五郎
   三番  筑後の六郎    荻野の次郎
 

1月4日 壬戌
  将軍家尼御台所の御方に渡御す。御引出物等有りと。
 

1月5日 癸亥
  将軍家正五位下に叙せしめ給う。
 

1月6日 天晴 [明月記]
  (前略)正五位下藤隆範(八條院)、同成信、源信定、藤忠定、同公俊、同忠頼、同
  範茂、源実朝、従五位上源保行、(以下略)  元久二年正月五日
 

1月8日 丙寅
  御所心経会、導師は眞知坊隆宣。御馬已下施物濟々焉たり。
 

1月30日 天晴 [明月記]
  未の時ばかり聞書を見る。(中略)加賀権守藤能(兼)、介源実朝(兼)、(中略)薩
  摩守大江泰兼、左近衛権中将源実朝、(以下略) 元久二年正月二十九日