1205年 (元久2年 乙丑)
 
 

11月3日 乙酉
  小澤左近将監信重綾小路三位(師季)の息女(二歳)を相伴い、京都より参着す。即
  ち行光を以て事の由を尼御台所に啓すと。これ母儀は、稲毛の三郎入道重成が女、遠
  州禅室の御外孫なり。去る六月重成入道誅せらるるの後、乳母夫信重扶持の号有りと
  雖も、猶彼の余殃を恐れ隠居するの処、尼御台所御哀愍有るべきの由内々仰せらるる
  の間、参向すと。
 

11月4日 丙戌 晴
  夜に入り、綾小路の姫君尼御台所の御亭に参らる。御猶子たるべきの儀なり。武蔵の
  国小澤郷(稲毛入道遺領)知行せらるべきの由仰せらると。
 

11月15日 丁酉
  相馬の次郎師常(年六十七)卒す。端坐合掌せしめ、更に動揺せず。決定往生敢えて
  その疑い無し。これ念仏行者なり。結縁と称し、緇素挙げてこれを集拝す。
 

11月20日 壬寅
  和與芳心を為す物に於いては改変すべからざるの由、今日定めらる。図書の允清定こ
  れを奉行す。