1206年 (元久3年、4月27日改元 建永元年 丙寅)
 
 

3月2日 癸未
  去る月二十二日の除目の聞書到着す。将軍家従四位下に叙せしめ給う。前の大膳大夫
  これを持参す。
 

3月3日 甲申
  鶴岡宮に於いて一切経会を行わる。将軍家廻廊に御参り。御家人等廟庭の座に着す。
  加藤判官光員楼門の砌に候す。
 

3月4日 乙酉
  将軍家鶴岡宮に於いて奉幣せしめ給う。
 

3月12日 癸巳
  桜井の五郎(信濃の国の住人)殊なる鷹飼いなり。而るに今日将軍の御前に於いて、
  鷹飼いの口伝・故実等これを申し、頗る自讃に及ぶ。しかのみならず、鵙を以て鷹の
  如くして鳥を取らしむべしと。その證を覧玉うべきの由、直に仰せらると雖も、当座
  に於いては治め難く、後日たるべきの由これを辞し申す。
 

3月13日 甲午
  相州召しに依って御前に参り給う。数刻御雑談に及ぶ。将軍家仰せて云く、桜井の五
  郎と云う者有り。鵙を以て鳥を取らしむべきの由これを申す。慥にその実を見んと欲
  す。これ嬰児の戯れに似たり。詮無き事かと。相州申されて云く、齋頼この術を専ら
  にすと。末代に於いては希有の事なり。縡もし虚誕たらば、彼の為に不便なり。猶以
  て内々尋ね仰せらるべしてえり。この御詞未だ訖わらざるに、桜井の五郎参入す。紺
  直垂を着し、餌袋を右腰に付け、鵙一羽を左手に居ゆ。相州簾中よりこれを見て、頗
  る入興す。この上は早く御覧有るべしと。仍って御簾を上げらる。この時に及び、大
  官令・問注所入道已上群参す。桜井庭上に候す。黄雀草中に在り。鵙を三たび寄せ合
  わせ三翼を取りをはんぬ。上下の感嘆甚だし。桜井申して云く、小鳥は尋常の事なり。
  雉と雖も更に相違有るべからずと。即ち御前の簀子に召され御劔を賜う。相州これを
  伝え給うと。