1206年 (元久3年、4月27日改元 建永元年 丙寅)
 
 

2月4日 乙卯 大雪降る
  鶴岡宮の祭例の如し。晩に及び、将軍家雪を覧玉わんが為、名越山の辺に御出で。相
  州の山庄に於いて和歌御会有り。相模の太郎・重胤・朝親等その座に候す。
 

2月8日 己未 霽
  午の刻、尼御台所鶴岡宮に参らしめ給う。駿河民部大夫行光已下数輩御輿の後に扈従
  すと。
 

2月20日 辛未 陰
  一日に百座の仁王講を勤行すべきの由、院宣を諸国に下さる。関東分今日到着す。前
  の大膳大夫これを執り啓す。
 

2月22日 癸酉 霽
  鶴岡宮に於いて百座の仁王講・百座の本地供を行わる。供僧等これを奉仕す。院宣を
  下さるるの内、相模の国の分なり。前の大膳大夫・大夫屬入道等宮寺に候じこれを奉
  行す。

[三長記]
  (前略)窮屈に堪えず早出をはんぬ。除目未だ終らざる間早出尤も穏便ならずと雖も、
  腹病術無きの故なり。正四位下平業忠、従四位下源實朝、正五位下源資清、(略)