1207年 (建永2年、10月25日改元 承元元年 丁卯)
 
 

4月5日 天晴 [明月記]
  昏に臨み巷説に云く、入道殿下御入滅と。日来御増を知らざるの由、甚だ以て悲慟す。
  須く馳参す。近日時儀更に測り難し。忽ち禁忌を処されば、事に於いて便宜を失うべ
  し。前事を懲らしをはんぬ。ただ木石の如し。

[皇帝紀抄]
  九條入道関白(兼實)薨ず。
 

4月13日 戊午
  戌の刻、将軍家御違例。
 

4月16日 辛酉
  御不例の事頗る不快の間、[相州の御亭に於いて御祈りを行わる]。鶴岡宮の供僧等
  を屈し、一日中大般若経一部を転読せらる。
 

4月20日 乙丑 快霽
  将軍家の御不例復本せしめ給うの間、御沐浴有るなり。