12月9日 [明月記]
京官除目と。
12月12日 丁丑 晴
神宮寺造畢す。仍って今日午の刻、本尊の薬師像を安置し奉らる。橘三蔵人これを奉
行す。
12月14日 己卯
上総の国海北郡久吉郷の住人僧善勝以下の輩、鶴岡の職掌に加えらると。図書の允清
定奉行たりと。
12月16日 辛巳
将軍家神宮寺の本尊(薬師)を拝見せしめ給うと。
12月17日 壬午 晴
神宮寺の薬師像開眼たり。相州・大官令参らる。導師は眞智房法橋隆宣(八幡宮供僧
の一和尚、日光山別当を兼ねるなり)、請僧二十五口(若宮の供僧)。供養の後、美
作蔵人・橘判官代等御布施を取る。導師分は被物三重・色革十枚・上絹十疋・白布十
端・紺布十端・藍摺十端・奥布十五端、この外馬三疋(一疋は鞍を置く)・八木十二
果、加布施に装束・念珠(扇に置く)。請僧分は口別に奥布十端・准布十端・馬一疋
・八木二果等なり。夜に入り供養法を開白す。導師は摩尼房印尊なり。また御布施有
り。被物一重・裹物一つ・上絹一疋・八木二果。
12月18日 癸未 晴
正五位下行掃部の頭藤原朝臣親能法師(法名寂忍)卒す(年六十六、時に在京)。
12月20日 乙酉 晴
未の刻、去る九日の除書参着す。将軍家正四位下に叙せしめ給う。また尼御台所熊野
山より御還向。
12月26日 辛卯 霰飛ぶ
今日、掃部入道卒去の事その告げ有り。去る十三日五條大宮の新造の屋に移徙す。同
十八日件の亭に於いて執終すと。