1209年 (承元三年 己巳)
 
 

8月13日 甲戌
  知親(元は朝字なり。美作蔵人朝親の名字と着到の時混乱するの間これを改む)京都
  より帰参す。京極中将定家朝臣に遣わさるる所の御歌、合点を加え返し進す。また詠
  歌の口伝一巻を献ず。これ六義風躰の事、内々尋ね仰せらるるに依ってなり。
 

8月15日 丙子 晴
  鶴岡の放生会例の如し。但し将軍家御出無し。相州奉幣の御使いたり。武州扈従せら
  る。