7月5日 丙申
将軍家御夢想に依って、二十首の御詠歌を住吉社に奉らる。内藤右馬の允知親(好士
なり。定家朝臣門弟)御使いたり。この次いでを以て、去る建永元年御初学の後の御
歌三十首を撰び、合点の為定家朝臣に遣わさるるなり。
7月13日 [紀伊崎山文書]
**大江廣元書状
関東別事なく候上ニ、在京の人々新妙の御気色にて候也。且ハとかみ殿御上洛候上、
太郎冠者も候へハ、御在京の事左右に及ばず候也。返々よろこひ思給へ候。謹言。
七月十三日 在御判
湯浅太郎殿(御返事)