1209年 (承元三年 己巳)
 
 

10月10日 庚午 雨降る
  民部大夫行光、永福寺の傍らに一伽藍を建立し、今日供養を遂ぐ。明王院僧正公胤を
  以て導師と為す。尼御台所渡御す。相州・武州・前の大膳大夫・遠江の守・大夫屬入
  道已下聴聞の為に参る。堂上・堂下市の如し。導師の御布施・会場の儀等美を尽くす。
  時の壮観なり。
 

10月13日 癸酉 晴
  故右大将家の御月忌に当たり、法華堂に於いて御仏事を修せらる。導師は明王院僧正。
  施主尼御台所御参り。相州・武州聴衆に列し給う。書写の妙典・図絵の仏像已下の作
  善有り。御布施等皆金銀錦繍に非ずと云うこと莫し。更に翰墨の載する所に非ず。仏
  経讃嘆は富楼那の弁説を吐く。幽霊定めて正覚を一時の間に證す。施主また同居を百
  年の後に期し給うか。
 

10月15日 乙亥
  明王院僧正御所に参らる。将軍家御面談有り。園城寺興隆の事、豫州刺史禅室以後源
  家代々の間、当寺に帰せしめ給う事、具に旨趣を述ぶ。前の大膳大夫廣庇に候ぜしむ。
  仰せに依って僧正の申さるる事等を註す。これ本寺の貴徳なり。
 

10月17日 丁丑 晴
  権僧正帰洛す。而るに時節寒天に属き、殊に遠路の煩い有るべきの間、将軍家頻りに
  拘留せしめ給うと雖も、長講堂供養の導師たるべきに依って、帰寺を急がると。相州
  ・大官令已下諸御家人に至るまで、餞送物数百種に及ぶ。剰え宿継兵士を献ずべきの
  由、相模の国以西の守護人等に触れ仰すと。