3月2日 庚寅 晴 [玉蘂]
六條殿長講堂供養なり。上皇御幸、催し有りと雖も、番長所労に依って供奉せざるな
り。後聞賞有り。法眼一人任ぜられをはんぬ。律師追って申請すべしと。
3月10日 戊戌
駿河の前司季時の使者京都より参着す。申して云く、去る月晦日の未の刻、高陽院殿
の馬場の御所焼失すと。
3月13日 辛丑
去る月明王院に遣わさるる所の御使い帰参す。申して云く、去る二日六條殿長講堂供
養を遂げらる。公胤御導師たりと。
3月14日 壬寅
武蔵の国の田文を造られ、国務の條々更にこれを定む。当州は、右大将家の御代初め、
一円に朝恩として国務せしめ給う所なり。仍って建久七年国検を遂げらるると雖も、
未だ目録の沙汰に及ばずと。
3月22日 庚戌
相州の室熊野詣で有るべきに依って、路次の雑事等地頭等に宛てらると。仲業これを
奉行す。