1210年 (承元四年 庚午)
 
 

10月1日 丙辰 天晴 [玉蘂]
  彗星今夜も西方に見る。恐るべし。或る人云く、大変に依って御譲位の事有るべしと。
 

10月3日 戊午
  暁に地震。
 

10月12日 丁卯
  京都の飛脚参着す。去る三十日の異星は彗星たるの由、主計の頭資元朝臣勘文を進す。
  この変に依って公家内外の御祈り等を行わるるの上、改元有るべしと。
 

10月13日 戊辰
  諸国御牧の事興行せしむべきの由、守護・地頭等に相触るべきの旨、今日仰せ出ださ
  る。武州奉行なり。行光これを書き下す。
 

10月15日 庚午
  聖徳太子の十七箇條の憲法並びに守屋逆臣の跡収公田の員数・在所、及び天王寺・法
  隆寺に納め置かるる所の重宝等の記、将軍家日来御尋ね有り。廣元朝臣これを相触れ
  尋ね、今日進覧すと。
 

10月16日 辛未 快晴
  晩に及び御所に変異の御祈りを行わる。大夫泰貞属星祭を奉仕す。清図書の允清定奉
  行す。御使いは源兵衛の尉季氏なり。
 

10月25日 庚辰 天晴 [玉蘂]
  この日彗星の御祈りに依って、南殿に於いて御読経を行わるべきなり。僧名定め同日
  なり。申の刻束帯(色目例の如し。蒔絵劔)を着し参内す(皇居大炊御門富小路)。
  奥座に着陣す。頃之蔵人春宮大進仲房来たり、仰せて云く、彗星の御祈りに依って六
  十口の僧を屈し、南殿に於いて大般若御読経を行わるべし。日時勘じ申セ。(以下略)
 

10月27日 天晴 [玉蘂]
  南殿の御読経結願なり。