1210年 (承元四年 庚午)
 
 

11月15日 [愚管抄]
  (彗星)また出きにけり。其たび司天のともがらも大に驚き思ひける程に、上皇信を
  いたして御祈念などありけるに、御夢の告のありけるにやとぞ人は申ける。忽に御譲
  位の事を行わる。
 

11月20日 甲辰
  戌の刻焼亡す。北風甚だ利し。相模の太郎殿の小町の御亭並びに近隣の御家人の宅等
  災す。その後他所に及ばず。
 

11月21日 乙巳 雪降る
  幕府の南面に於いて和歌の御会有り。重胤・朝盛等祇候すと。
 

11月22日 丙午
  御持仏堂に於いて聖徳太子の御影(南無仏)を供養せらる。眞智房法橋隆宣導師たり。
  この事日来の御願と。
 

11月23日 丁未
  奥州十二年合戦の絵、京都よりこれを召し下さる。今日御覧ず。仲業仰せに依ってそ
  の詞を読み申すと。
 

11月24日 戊申
  駿河の国建穂寺の鎮守馬鳴大明神、去る二十一日卯の刻、小児に託し、酉の歳合戦有
  るべきの由と。別当・神主等これを注進す。今日到来し、相州これを披露す。仍って
  御占形有るべきかの由、廣元朝臣これを申し行うと雖も、将軍家彼の二十一日の暁合
  戦の事を夢み、その告げを得る。虚夢に非ざるか。この上は占いに及ぶべからずと。
  御劔を彼の社に進せらると。
 

11月25日 己酉
  御持仏堂に於いて例の文殊供養有り。導師は荘厳房行勇と。

[玉蘂]
  この日天皇(土御門)皇太弟(順徳)に譲国の日なり。