1211年 (承元5年、3月9日建暦元年 辛未)
 
 

8月8日 丁亥 晴
  大膳大夫違例頗る不決の間、種々の祈祷有りと。
 

8月15日 甲午 晴
  鶴岡宮の放生会。将軍家聊か御不例に依って御出無し。奉幣の御使いは相州。次いで
  将軍家廻廊の簾中に於いて密々に舞楽を覧玉う。
 

8月16日 乙未 晴
  相州参宮せしめ給う。将軍家御見物の為馬場の桟敷に御出で。
 

8月19日 [玉蘂]
  伝聞。座主並びに前の大僧正等召しに依って去る夜参院す。種々の仰せを承り登山す。
  堂衆一所に帰住す。訴え申すべからざるの由使いとして仰せらる。大衆門徒を発し僧
  綱を推卒すと。定めて大事に及ぶか。夜に入り中宮大夫来られ、堂衆の間の事を語る。
  大略勅勘を免され、本の如く所領を返し給うべしと。
 

8月21日 [玉蘂]
  伝聞。大衆猶蜂起左右に能わずと。去る夜半前の大僧正下向しをはんぬ。子細有るか。
  大刀を抜き切り合うの間、御輿のほこを切る。件の僧則ち以て死去しをはんぬと。
 

8月23日 [玉蘂]
  山門の大衆神輿を日吉に降り奉りをはんぬ。今に於いては別事有るべからずと。
 

8月25日 [明月記]
  中納言忠信卿・中将信能朝臣遊放の事に依って勅勘す。信能解官と。奇驚しをはんぬ。
 

8月27日 丙午 晴
  将軍家御不例の後、始めて鶴岡八幡宮に詣で給う。