4月6日 壬午 晴
戌の刻、将軍家御病悩。而るに小御所の東面柱の根に於いて花開く。仍って天地災変
・鬼気等の祭を行うべきの由、相州申さしめ給う。また鶴岡の供僧等仰せを奉り、大
般若経を転読す。
4月8日 甲申 晴
寅の刻、御所に於いて、親職・泰貞御祭等を奉仕す。相州(布衣)その所に向かわし
め給う。
4月10日 [玉蘂]
早旦大外記師重聞書を送らる。蔵人家光検非違使に補す。師卿の嫡男(第三男、年十
四)なり。文章の家を継ぐと。非蔵人一人放簡しをはんぬ。関東の住人たるに依って
なり。
4月18日 癸卯 晴
将軍家の御願として、大倉郷に一勝地を卜し、一寺を始めしめ給う。今日午の刻立柱
・上棟なり。これ君恩・父徳に報いられんが為と。相州・武州・大官令等参向せらる。
戌の刻、この所に於いて水神並びに七座土公祭を行わる。橘三蔵人奉行すと。