1212年 (建暦2年 壬申)
 
 

3月1日 戊申
  旬の御鞠有るべきの由、今日仰せ出さるるに依って、鎮西沙汰の人々に及ぶまで、芸
  の堪否を顧みず、競望を成すと。武州奉行として人数を精撰せらると。
 

3月3日 庚戌 細雨下る
  鶴岡宮一切経供養。将軍家御出で。結城左衛門の尉朝光御劔を持つ。和田の平太胤長
  御調度を懸くと。
 

3月6日 癸丑
  幕府の御鞠始めなり。将軍家(御布衣)立たしめ給う。武州(時房)・匠作(泰時)
  ・重胤・朝盛・朝直以下これに候す。
 

3月9日 丙辰
  将軍家三浦三崎の御所に渡御す。尼御台所並びに御台所同じく伴わしめ給う。相州・
  武州・前の大膳大夫・源右近将監以下扈従す。鶴岡別当兒童等を相具し参る。船中に
  儲け、舞楽の興等有りと。
 

3月10日 丁巳
  夜に入り、三浦より還らしめ給うと。
 

3月16日 癸亥
  前浜の辺を屋地として、御家人等に分け賜う。所謂土屋大学の助・和田新左衛門の尉
  ・境平次兵衛の尉・波多野の次郎・牧の小太郎・長江の四郎・[松葉の次郎等なり。
  清図書の允これを奉行す。]
 

3月20日 丁卯
  惟義・頼時・廣綱等、在京奉公の労に依って、各々一村の地頭職を拝領すと。廣元朝
  臣奉行たりと。