1213年 (建暦3年、12月6日改元 建保元年 癸酉)
 
 

1月1日 癸卯 天顔快晴
  巳の刻地震、午の刻、将軍家鶴岡八幡宮に御参り。先ず廣元朝臣御車を寄す。この間
  相州廊根の妻戸の間に候じ給う。陰陽の少允親職御身固めに候す。宮内兵衛の尉公氏
  御劔を取り、兵衛大夫季忠に授く。供奉人参進す。御車南門を出るの後各々騎馬す。
  大夫判官基清最末に候す。宮寺に於いて法華経を供養せらるること例の如し。導師は
  大学法眼行慈なり。還御の後椀飯の儀を刷わる。廣元朝臣これを経営す。
   御引出物の役人
    御劔   兵衛大夫季忠
    御調度   和田左衛門の尉義盛
    御行騰沓 結城左衛門の尉朝光
    御馬五疋
 

1月2日 甲辰
  相州椀飯を献らる。
   御進物の役人
    御劔    武蔵の守
    御調度   左近大夫朝親
    御行騰沓  民部大夫康俊
    一の御馬  伊賀次郎兵衛の尉   同三郎
    二の御馬  三浦九郎左衛門の尉  佐原の又太郎
    三の御馬  佐々木左近将監    加地の六郎
    四の御馬  籐内左衛門の尉    加藤兵衛の尉
    五の御馬  南條の七郎      曽我の小太郎
 

1月3日 乙巳
  武州椀飯を沙汰し進せらる。
   進物の役人
    御劔    小山左衛門の尉朝政
    御調度   山城判官行村
    御行騰沓  三浦九郎左衛門の尉胤義
    一の御馬  武蔵の太郎      肥田の八郎
    二の御馬  足立八郎兵衛の尉   同九郎
    三の御馬  吉良の次郎      同三郎
    四の御馬  豊嶋の小太郎     同又太郎
    五の御馬  大和判官代      同進士
 

1月4日 丙午
  椀飯、和田左衛門の尉義盛これを沙汰す。
   進物の役人
    御劔    三浦左衛門の尉義村
    御調度   伊賀の守朝光
    御行騰沓  和田新左衛門の尉常盛
    御馬五疋
  その後、将軍家相州の御亭に入御す。次いで若宮別当の雪下の本坊に渡御す。秉燭の
  程還御せしめ給うと。
 

1月10日 壬子 天晴
  相州の御亭に於いて、神社・仏寺以下の吉事等始めてその沙汰有り。二所御精進の事、
  日次無きの由陰陽道これを申すと雖も、急ぎ思し食すに依って、猶近日を定めらると。
 

1月12日 甲寅
  幕府の女房等双紙の合会有り。将軍家これを判ぜしめ給うと。
 

1月15日 天晴 [明月記]
  馬の允盛時が子知親、関東より上洛す。熊野詣でを遂げ在京するの由来たり示す。喚
  び出し言談す。和歌を詠む男なり(歌予の撰進に依って、読み人知らずにて新古今に
  入る)。
 

1月16日 戊午 天霽
  将軍家二所御精進これを始む。
 

1月22日 甲子 天晴
  二所御進発。相州・武州等供奉し給う。晩俄に風雨甚だし。戌の刻酒匂の駅に着御す。
 

1月26日 戊辰 霽
  将軍家二所より御帰着と。今日一條侍従能氏参着す。