10月2日 戊戌
将軍家御方違えの為相州の御第に入御す。出雲の守・武蔵の守・遠江の守・結城左衛
門の尉・三浦左衛門の尉・籐内左衛門の尉以下供奉すと。
10月3日 己亥
日中御方違えの御所より還御す。その期に相州御馬並びに御劔等を進せらる。今日御
書を以て、大宮大納言殿の方に仰せらるる事有り。公家より西国の御領等臨時の公事
を課せらるるなり。一切御沙汰に及ぶべからざるの由、廣元朝臣の如きこれを申すと
雖も、仰せに曰く、一向停止の儀に於いては然るべからず。向後に至りては、楚忽の
事は、雑掌等の所堪に非ず。仮令兼日ほぼ定め仰せらるべきの旨これを載すべきてえ
り。仍って前の大膳大夫宿館に於いてこの御書を書き整え、遠江の守親廣の御使いと
して、数度往廻す。親廣御判を申請す。即ち京進の為籐民部大夫行光に下さると。
10月4日 庚子
尚友帰洛すと。
10月13日 己酉 天晴
夜に入り雷鳴。同時、御所の南庭に狐鳴度々に及ぶと。
[明月記]
関東の消息、五大集を営み送るべきの由なり。予古今を書くかと。老眼堪えず。旁々
術無き事と雖も、すでに能書の儀に非ず。歌仙の数に依って、鳥跡を厭わらざれば、
遁避すべからざる由領状しをはんぬ。
10月14日 庚戌 天霽
去る夜の変異に依って、御祈祷を致すべきの由、廣元朝臣の奉行として、鶴岡・勝長
寿院・永福寺等の供僧並びに陰陽道の輩に仰せ付けらると。
10月18日 甲寅
宗監物孝尚を以て、武蔵の国新開実検の為に遣わさる。図書の允清定奉行す。
10月24日 天晴 [明月記]
清水寺の寄文に依って、山門の衆徒一同納受し、寺牒を成す。清水を記さんと欲する
由、昨日その聞こえ有り。公家座主に仰せられその事を止めらるか。委しく聞かず。
これ乞食法師等の謀書と。
10月28日 天晴 [明月記]
巷説。清水寺の事、本寺寄文を出すの上、問い知ろし食さざるの由、山門に仰せ放た
る。仍って山僧等彼の寺に入座す。寺僧仏像を取り逃げ去る。或いは云く、南京に出
奔すと。南北衆徒の犯乱、本寺・本山の磨滅ただこの事に在るか。
10月29日 乙丑 天霽
六波羅の飛脚参着す。申して云く、清水寺の法師等、寺家を台嶺の末寺に寄付するに
依って、山門使彼の寺領に入部するの間、南都の衆徒これを憤り、延暦寺を焼失せん
が為発向せんと擬す。これに就いて重ねて官軍を発遣すべきの由、公卿僉議に及ぶと。
[明月記]
両方の衆徒犯乱す。清水の近辺、雑物を運び逃亡す。天下静かならずと。