1215年 (建保3年 乙亥)
 
 

12月15日 己亥 晴
  亥の刻金木同度、同時に地震。
 

12月16日 庚子 霽、終日風烈し
  連々の天変等の事、司天勘文を捧ぐ。将軍家殊に御謹慎有るべきの変なりと。大夫屬
  入道善信これを執り申す。相州・大官令・籐民部大夫等善政を興され、佳運長久の術
  を廻らさるべきの由これを沙汰す。また今日、伊豆の国願成就院の南新御堂供養を遂
  げらる。本仏は阿弥陀三尊並びに四天王像と。これ相州の御願として、この間新造せ
  らるる所なり。
 

12月19日 癸卯 晴
  戌の刻太白歳星を犯す(相去ること九寸の所)。
 

12月20日 甲辰
  絹・布等を善光寺の僧徒に施し給う。布施右衛門の尉これを奉行す。
 

12月25日 [皇帝紀抄]
  延暦寺賀茂太田社の禰宜清平、白山神人を殺害する間の事を訴え申す。
 

12月30日 甲寅 晴
  天変の御祈りを行わる。御前の南庭に於いて、宣賢歳星祭を奉仕す。三浦左衛門の尉
  義村これを沙汰す。