1215年 (建保3年 乙亥)
 
 

11月5日 庚申
  御牧の御馬少々到来す。義村將て参る。南面に於いてこれを覧玉い、人々に分賜し給
  う。夜に入り庚申の御会有り。
 

11月8日 癸亥 快晴
  将軍家相州の御亭より御所に還御す。鷺の怪に依って、御旅宿すでに七十五日を経を
  はんぬ。籐右衛門の尉景盛予参し、御所の経営を儲く。御引出物並びに供奉人の贈物
  有り。
 

11月12日 丁卯
  御霊社に於いて解謝等有り。日来頻りに怪異有るに依ってなりと。
 

11月20日 乙亥 晴
  戌の刻太白迥かに哭星の第一星(七寸の所)を犯すと。
 

11月21日 丙子 霽
  亥の刻太白哭星の第二星(七寸の所)を犯すの由、陰陽の少允親職御所に参り申すの
  間、将軍家南面に於いてこれを御覧ず。
 

11月24日 己卯
  安楽寺領筑前の国岩田庄の事、この間聊か予儀有りと雖も、今日遂に左近大夫菅原時
  賢の子有成に賜う所なり。相州・武州並びに前の掃部の頭・遠江の守等、署判を御下
  文に加うと。これ有成平家に同意するの由、兄弟成賢これを訴え申すに依って、当庄
  を収公せられんと欲するの処、彼の悪行に與まざるの旨陳謝す。然るべきの間安堵せ
  しめらると。
 

11月25日 庚辰
  幕府に於いて、俄に仏事を修せしめ給う。導師は行勇律師と。これ将軍家去る夜御夢
  想有り。義盛以下亡卒御前に群参すと。