1216年 (建保4年 丙子)
 
 

4月7日 庚寅
  廣元朝臣、中原姓を改め大江氏と為すべきの由、勅裁を申請すべきの趣、日来内々都
  鄙に談合す。遂に今日女房に属き許否を伺うと。
 

4月8日 辛卯
  将軍家寿福寺に御参り。供具を十六羅漢の影像に備えらると。
 

4月9日 壬辰
  常御所の南に於いて、終日諸人の愁訴を聴断し給う。各々藤の御壺に候し子細を言上
  す。義村・善信・行光・仲業等これを奉行す。
 

4月15日 丁酉 晴
  京都の飛脚参る。去る二日、殷富門院崩御の由これを申す。

**皇帝紀抄
  殷富門院 建保四年四月二日御事(七十)。
 

4月17日 己亥
  廣元朝臣申す大江姓の事、御左右有りと。
 

4月18日 [皇帝紀抄]
  東寺の舎利盗賊六人検非違使に渡さる。上皇御見物有り。
 

4月19日 壬寅
  御台所御仏事を修せらる。坊門殿三十五日なり。
 

4月20日 癸卯 陰
  美作左近大夫朝親使節として上洛す。これ彼の崩御の事に依ってなり。
 

4月29日 [皇帝紀抄]
  東寺の盗賊二十四人関東に遣わさる(武士左衛門の尉廣綱これを請け取る)。