1216年 (建保4年 丙子)
 
 

3月3日 丙辰 細雨灑ぐ
  鶴岡八幡宮の一切経会なり。将軍家御出無し。武州御使いとして神拝し給う。
 

3月5日 戊午 晴
  故金吾将軍の姫君(年十四)御所に渡御す(御乗輿なり)。扈従の侍二人(各々布衣)。
  御台所これに謁し給う。これ尼御台所の仰せに依って、御猶子の儀なり。行光の沙汰
  として、御贈物等を進せらると。
 

3月7日 庚申
  海水色を変ず。赤紅を浸すが如しと。
 

3月16日 己巳 快霽
  御台所江嶋に詣で給う。信濃の守行光・筑後の前司頼時以下、五位・六位数輩扈従す。
 

3月22日 乙亥
  京都の使者到着す。申して云く、去る月二十九日申の刻ばかりに、東山新日吉の辺に
  於いて、大夫の尉秀能・淡路の守秀康等東寺の強盗を生虜る。仏舎利・道具等紛失せ
  ず。仍って今月九日、元の如く東寺に安置し奉らる。即日秀康右馬の助に任ず(淡路
  の守元の如し)。秀能出羽の守(使は元の如し)に任ず。各々東寺の強盗を搦め進す
  賞なりと。この御祈りの為、二月二十三日公卿勅使(光親卿)を伊勢太神宮に立てら
  る。今月二十九日入洛するの後、彼の賊徒等露顕す。これ則ち王化と云い仏法と云い、
  未だ尽きざるが致す所なりと。
 

3月24日 丁丑
  京都の飛脚参着す。去る十四日夜、坊門前の内府禅室、西郊の別業に於いて薨御す。
  仍って十五日寅の刻、上皇八幡より俄に還御(上皇の御外舅なり)の由これを申す。
 

3月25日 戊寅
  御台所(御車)厳閣の薨御に依って、信濃の守行光が山庄に渡御す。密儀なりと。
 

3月26日 己卯
  この御訪いとして、佐々木左近将監・足立の八郎元春等上洛す。
 

3月30日 癸未
  京都の飛脚相州の御亭に参着す。去る二十二日、三條中納言(實宣)の室逝去し給う
  の由これを申す。これ故遠州禅室の御息女、相州の御妹なり。仍って御軽服の間、諸
  人群参せしむ。