1216年 (建保4年 丙子)
 
 

11月12日 辛卯 晴
  鶴岡宮の神事、将軍家御出で。御昇進(中納言中将)に依って拝賀の儀を用いらる。
  相州・武州以下前後の扈従堵の如し。
 

11月23日 壬寅 霽
  将軍家中納言に任ぜしめ給うの後、御直衣始めなり。
 

11月24日 癸卯 晴
  将軍家先生の御住所医王山を拝し給わんが為、渡唐せしめ御うべきの由思し食し立つ
  に依って、唐船を修造すべきの由、宋人和卿に仰す。また扈従人六十余輩を定めらる。
  朝光これを奉行す。相州・奥州頻りに以てこれを諫め申さると雖も、御許容に能わず。
  造船の沙汰に及ぶと。