1216年 (建保4年 丙子)
 
 

12月1日 己酉
  諸人の愁訴相積もるの由これを聞こし食すに依って、年内に是非せしむべきの旨、奉
  行人等に仰せらると。
 

12月8日 丙辰
  伊賀の国壬生野庄は春日社領たり。而るに宇都宮の彌三郎頼綱入道地頭と称し押領す
  るの由、興福寺の住侶僧信賢参訴する所なり。今日その沙汰有り。関東の御成敗に能
  わず。記録所に於いて対決を遂げらること宜しかるべきの由仰せ下さると。
 

12月13日 辛酉
  将軍家法華堂に御参り。恒例の御仏事有り。尼御台所同じく御参りと。導師は和泉阿
  闍梨と。
 

12月20日 戊寅
  富士御領の済物京進の綿、皆済の儀無きの旨と。甘苔夫は、必ず今明中に進発せしむ
  べきの由と。
 

12月23日 辛未
  橘左衛門の尉公業御対面有り。故右幕下の慇懃の御遺書を披き、愁い申すの旨有り。
  頗る涙を拭い述懐に及ぶ。頻りに御憐愍の気有りと。
 

12月25日 癸酉
  小笠原の次郎長清申して云く、甲斐の国の領所に堂舎有り。帰敬すでに年尚し。これ
  故右大将家の御菩提を資けんが為、殊に修理等を加う。向後は御願寺として一村を寄
  付せらるべきの由と。その沙汰有り。御願寺の事に於いては子細有るべからず。一村
  の御寄付は、追って左右有るべきの旨仰せ出さる。仲業これを奉行す。