1218年 (建保6年 戊寅)
 
 

8月13日 [皇帝紀抄]
  中殿に於いて和歌御会有り。題池月久明。先ず御遊事有り。主上御琵琶(玄上)、笙
  隆衡卿、笛公頼卿、篳栗雅経、和琴家嗣卿、箏基良卿、拍子有雅卿、付歌資雅朝臣。
 

8月15日 癸丑 晴
  鶴岡の放生会、将軍家御参宮。供奉人の行粧花美例に越ゆ。檳榔の御車を用いられ、
  一員を召し具せらるるなり。
 

8月16日 甲寅 晴
  将軍家御出昨の如し。流鏑馬殊にこれを結構せらる。
 

8月20日 戊午 霽
  蔵人左衛門の尉時廣禁裏奉公を致さんが為、上洛すべきの由を申す。行村申次たり。
  而るに御気色頗る不快なり。先日すでにその号を仙籍に交ゆとも、下向するの上は、
  強ち還参を好むべからざるか。所存の企て、関東を褊するに似るなり。心中殊に不審
  と。行村面を地に垂れ、申す旨無くして退出す。仰せの趣を時廣に伝う。時廣また申
  して云く、愚存更に京都を以て宗と為すに非ず。望みを廷尉に懸くと雖も、労未だ至
  らざるの刻、御拝賀の前駆を勤めんが為、白地に下向するの間、未だ除籍せられざる
  か。枉げて恩許を蒙り前途を達するの後、即ち参向せしめ、夙夜の忠を抽んずべしと。
  行村重ねて披露せしめ難きの由、これを辞し退出すと。
 

8月21日 己未 霽
  時廣上洛の事、昨の趣を以て、泣いて右京兆に愁い申すに依って、申し達せしめ給う
  の間、上洛すべしと。
 

8月28日 [明月記]
  右大臣殿より仰せられて云く、九月十三日夜内裏に和歌有るべし。題を召さる。猶一
  首祝言か。員多くすべきか。如何。題の事、また相計らうべし。申して云く、一首祝
  事度々に及ぶべからざず候か。ただ月の題宜しかるべきか。