1222年 (承久4年、4月13日改元 貞応元年 壬午)
 
 

3月3日 辛亥
  相州伊勢の国守護職の御下文を賜う。これ去年合戦の賞に依って拝領するの処、彼の
  状焼失するの由これを申さるるに依って、重ねて成し下さるる所なり。この外、同国
  中十六箇所これを賜う。所謂匂御厨・丹生山・南堀江・永垣・黒田御厨、両金法師跡
  以下と。
 

3月8日 丙辰 晴
  去る夜より若君聊か御悩。仍って戌の刻、御所南庭に於いて月曜祭を行わる。大夫泰
  貞これを奉仕す。嶋津左衛門の尉忠久これを沙汰す。御使は駿河太郎兵衛の尉朝村。