7月2日 [百錬抄]
今夜子の刻、承明門院御所(土御門万里小路)焼亡す。放火と。
7月3日 己酉
讃岐中将大倉亭に於いて百日の小笠懸を始めらる。毎日日出以前、若くは晩涼に属き
会合すべきの由、数輩約諾を成す。先ず今日の射手、結城の七郎朝廣・駿河の次郎泰
村・同四郎家村・小笠原の六郎時長・佐々木太郎兵衛の尉重綱・同八郎信朝・伊東六
郎兵衛の尉・嶋津三郎兵衛の尉忠義・原左衛門の尉忠康・岡辺左衛門の尉時綱・横溝
の五郎・同六郎・伊具右馬太郎盛重。
7月11日 [百錬抄]
准后院号有り(北白川院と)。
7月23日 己巳 晴
未の刻大地震。