1222年 (承久4年、4月13日改元 貞応元年 壬午)
 
 

12月2日 丙子 晴
  大外記師季朝臣の書札到来す。去る月二十二日の大甞会無為遂行せらると。また除書
  等を相副える所なり。
 

12月12日 丙戌 晴
  子の刻奥州室男子平産す。加持は弁法印定豪、験者は大進僧都観基、医師は頼経朝臣、
  陰陽師は国道朝臣以下六人なり。
 

12月13日 丁亥 晴
  辰の刻、去る夜の平産に依って、験者以下御衣・御馬を給う。験者分の御馬は安東左
  衛門の尉これを引く。医陰道分は原左衛門の尉・大野新右近将監これを引く。加持僧
  分は中野の五郎を以て宿坊に進せらると。