2月1日 壬辰
今日日蝕有るべきの由、宿曜道助法眼珍誉これを勘じ申すと雖も、日輪虧けること無
しと。
2月13日 天晴 [明月記]
夜に入り中将来たり。次いでに云く、陰陽大允と云う者鎌倉に在り(近年此の如き者
名字を分別せず)。その官子息に譲る。その子息在京す。父の妻(本より好色)在京
す(子息またこれに通うと)。件の妻月卿雲客已下相見る。(後略)
2月14日 [明月記]
或る説に云く、今月朔日の事なり。父の大允晴光弟と。子息新大允と称し、六波羅近
習の者なり。この説所生の母と。すでに五十の齢に及ぶ。元若夫を好み、盛兼朝臣の
子を生む。此の如きの輩往反断えず。その夜衣冠の人来たり、暁更退出す。大允件の
男を搦め取り車宿に面縛す。太刀打ちを以てその頸を打ち切り、相具し六波羅に向か
わんと欲するの処、母乞請により、曙ざる以前赦免す。兵衛の佐親氏落馬の由を称し
出ずと。(後聞、舎兄成實朝臣この聞こえ有りと)
2月21日 壬子
去る月九日より霖雨旬を渉る。仍って武州御書を以て陰陽師等に問わる。各々申して
云く、天災の上、東西の神社崇りを加えしむか。殊に御祈祷を致せらるべきの由と。
2月24日 乙卯
巳の刻小鷹一羽雀を取り、御所中門廊の内に飛び入る。而るに遠藤の四郎これを取り
若君に献る。頻りに御賞翫有り。この事吉兆たるの由、三條左近大夫将監親實・遠藤
左近将監為俊これを申す。師員云く、野鳥室に入れば、主人将に避けるの文、文選に
在り。これを忌むべきかと。然れば野鳥は人の用いる所に非ざるなり。これまた飼鷹
なり。何事か有らんやの由、宥め申す輩等有りと。
2月30日 辛酉 晴
午の刻俄に雨降る。雷電数反。申の斜め晴に属く。凡そ正月より連日降雨なり。