1225年 (元仁2年、4月20日改元 嘉禄元年 乙酉)
 
 

9月3日 辛酉
  武州終日御所中に参侯す。駿河の前司義村・隠岐入道行西の如き殊に密談等有り。理
  世の沙汰かと。
 

9月8日 丙寅
  多胡江河原に於いて八万四千基の石塔を立てらる。武州・駿州・三浦駿河の前司以下
  行き向わる。弁僧正門弟等を相具しこれを沙汰すと。
 

9月12日 庚午
  故大夫判官光季遺領の事その沙汰有り。彼の子息四郎季村等これを拝領す。常陸の国
  塩籠庄(元和田の平太知行)以下と。
 

9月20日 戊寅
  武州奉行人等を召集し対面せしめ給う。仰せ含めらるる事有り。各々賢不肖に就いて、
  賞罰を加えらるべきの由と。