1225年 (元仁2年、4月20日改元 嘉禄元年 乙酉)
 
 

8月1日 己丑 雨下る
  申酉の刻日蝕有るべきの由、宿曜師と暦道と日来相論に及ぶと雖も、雨降るに依って
  現否決し難しと。

[皇帝紀抄]
  日蝕有るべきの由、宿曜師珍兼これを申し上ぐ。暦算佗宿曜道等、正規すべからざる
  の由これを申す。内々御祈り有るべきと雖も、御所を裹まらるに及ばず。
 

8月2日 庚寅
  御所侍の内千鳥飛行す。驚き御沙汰有り、御占いに及ぶ。御病事火事の由申すを以て、
  酉の刻国道これを占い申すと。旧御所中千鳥常に集まると。
 

8月15日 癸卯 霽
  鶴岡の放生会延引す。二品御事の触穢に依ってなり。
 

8月27日 乙卯 晴
  今日二品御葬家の御仏事。竹の御所の御沙汰なり。導師は弁僧正定豪、曼陀羅供庭儀
  例に加う。御布施取り十五人、二條侍従教定(参議雅経の子)御加布施(砂金百両)
  を役す。未の刻、一條太政大臣家御台所臨時の御仏事を修せらる。導師は荘厳房律師
  行勇、請僧十口。御布施取り同前。主馬判官奉行として下向す。導師の御布施は錦の
  被物一重・同横皮(銀打枝に在り、縁は金銀を以て打ちカ文これを付く)・錦六端銀
  籠を入る・色々の呉綾十段・錦の裹物一重、加布施は金百両、その外済々焉たり。請
  僧十口分は、各々錦の横皮・水精念珠(表銀打枝に懸く)。凡そ物毎に美を尽くし善
  を尽くす。万人これを以て荘観と為す。但し説法時を移すに依って、請僧御布施の間
  秉燭に及ぶ。すでに作法無きが如し。今日、伊賀四郎左衛門の尉朝行・同六郎右衛門
  の尉光重、厚免を蒙り配所より帰参す。これ二位家御追福に依って、恩赦を行わるる
  所なり。
 

8月28日 丙辰
  丑の刻雷鳴。