1226年 (嘉禄2年 丙戌)
 
 

12月4日 乙酉 晴
  戌の刻月火を犯す。金木を犯す(二寸の所)。
 

12月8日 己丑 晴
  竹の御所造畢の後、鎮祭等を行わる。また調度等を置き鋪設を儲くと。

[明月記]
  謹んで変異の事を奏す。
  一、今月四日(乙酉)、昏戌の時月螢惑星(相去ること一尺二寸ばかり)。
  一、五日、戌の時第二星を犯す(五寸ばかり)。
  一、同月七日(戊子)、昏戌の時太白歳星を犯す(相去ること八寸ばかり)。
    嘉禄二年十二月六日正四位下行陰陽の頭兼天文博士石見の介安部朝臣泰忠
 

12月10日 辛卯 巳の刻より雨降る。晩頭に及び白雪に変ず
  今日竹の御所御移徙有り。戌の刻新御所に入御す。御輿。伊賀右馬の助仲能・源左近
  大夫家平・窟平左衛門の尉廣光・那珂左衛門の尉御共に候す。入御の時、大膳の亮泰
  貞(束帯)廊に参り反閇を勤む。禄(白綾の御衣)を賜う。仲能これを役す。また内
  廊の砌に於いて黄牛を引かる。廣光これを役すと。
 

12月13日 甲午 晴
  戌の刻政所前より失火す。尾藤左近将監・平三郎左衛門の尉正忠・大和左衛門の尉・
  近藤刑部の丞等の家焼亡すと。
 

12月14日 暁より微雨 [明月記]
  巳の時ばかり夜前の事を申さんが為、一條院に参り見参す。仰せに云く、関東より任
  槐の事を申す。書状今朝到る(表書頭中将殿)。近日この事聞く事無しと雖も黙すべ
  からず。奏聞を経るべきか。相国に示すべし。少時退出、東亭に参る。
 

12月21日 壬寅 天晴、風静まる
  夜に入り相州並びに武蔵の次郎時實主等、新造の花亭に各々移徙の儀有りと。
 

12月29日 庚戌 晴
  今夜夜半、伊豆の国走湯権現の宝殿並びに廻廊・堂舎数十宇焼亡す。その火翌日午の
  刻に至る迄滅せずと。