1228年 (安貞2年 戊子)
 
 

1月1日 乙亥 霽
  今日椀飯(相州御沙汰)。将軍家出御す。御劔は駿河の守重時(束帯)、御弓箭は大
  炊の助有時(布衣)、御行騰沓は結城左衛門の尉朝光。御馬五疋。
 

1月2日 丙子 快晴
  椀飯(武州御沙汰)。御劔は前の出羽の守家長、御弓箭は大須賀左衛門の尉、御行騰
  沓は土屋左衛門の尉。御馬五疋。
 

1月3日 丁丑 霽
  椀飯(越州沙汰)。御劔は駿河の守重時(布衣)、御弓箭は陸奥の四郎正村、御行騰
  沓は陸奥の五郎實泰。御馬五疋。
 

1月7日 辛巳 霽
  戌の刻俄に天陰、南方雷両三声。但し雨降らず。
 

1月8日 壬午 快晴
  椀飯以後心経会を行わる。武州已下人々の出仕例の如し。今日鶴岡年始の御奉幣有る
  べきの由、兼ねてこれを定めらるると雖も延引すと。日中御行始めの儀有り。武州の
  亭に入御す。駿河の守御劔を役す。狩野籐次兵衛の尉御調度を懸くと。
 

1月10日 甲申
  御弓始め。
 

1月13日 丁亥
  二所奉幣の御使として進発せしむべきの由、駿河の前司義村に仰せらる。即ち領状を
  申すの処、猶その沙汰有り。御使の儀を止め、直に御参有るべきの由今日治定すと。
 

1月19日 癸巳
  将軍家の御前に於いて二所御奉幣の日時の定め有り。陰陽師等参進す。来月十四日御
  進発有るべきの由、親職・晴賢・文元等、先日これを撰び申す。而るに四不出日なり。
  然るべからざるの旨、泰貞内々言上せしむに依って、直に御問答に及ぶ。各々相論有
  るか。武州並びに義村・家長等祇候す。皆他日を用いらるべきの由傾け申さる。仍っ
  て重ねてこれを撰び、二月二十五日御進発有るべしと。
 

1月23日 丁酉 霽
  午の刻、将軍家竹の御所に入御す。御狩衣・御乗輿なり。越後の守・駿河の守已下数
  輩供奉す。武州予め儲けの御所に候せらる。夜に入り還御すと。
 

1月29日 癸卯
  将軍家二所御参の事、今年は御延引有るべきの由沙汰有り。元の如く御使として参詣
  せしむべきの旨、今日義村に仰せ含めらると。