12月1日 丙午 晴
戌の刻地震。
12月2日 丁未 霽
周防の前司の奉行として、地震の事陰陽道に尋ねらる。勘文を召すと。
12月5日 庚戌 晴
将軍家卯の刻より御咳病の気有り。赤斑瘡御減の間、今日御沐浴有るべきの由、兼日
定めらるるの処、この御事に依って延引すと。
12月8日 癸丑
駿河の前司義村下若を相具し御所に参り、女房等に勧め奉る。これ御不例無為の事賀
し申すが由なり。
12月10日 乙卯 晴
御不例の後、御沐浴の儀有り。良基参候すと。相州以下人々群参すと。
12月11日 天晴風寒 [明月記]
夜半改元。安貞(資高朝臣の勘文)の由、御書を以て仰せらる。この字存外の事か。
12月12日 朝天快晴 [明月記]
夜に入り兵部来たり談る。相州の上洛(熊野詣料)また止まりをはんぬ。孫(歌仙入
道子)夭亡の故と。
12月13日 戊午 陰
護持僧・陰陽師等結番せらる。隠岐入道・周防の前司・後藤左衛門の尉奉行たり。
先ず護持僧、
上旬 弁僧正 丹波僧都 宰相律師
中旬 大蔵卿法印 大進僧都 常陸律師
下旬 信濃法印 加賀律師 蓮月房律師
次いで陰陽師、
一番 泰貞 二番 晴賢 三番 重宗
四番 晴職 五番 文元 六番 晴茂
12月14日 己未 晴
竹の御所御方違えの為、越後の守の名越亭に入御し給う。
12月15日 庚申 霽
鶴岡放生会これを遂行せらる。式月御軽服に依って延引する所なり。
12月25日 庚午 晴
六波羅の飛脚到来す。改元の詔書を持参す。去る十日、嘉禄三年を改め安貞元年と為
すと。今年三合に相当たるの上、赤斑瘡流布す。人庶多く以て病死するの間、この儀
に及ぶと。
12月26日 辛未 晴
政所に於いて改元の吉書を行わる。信濃民部大夫入道行然これを奉行す。
12月28日 癸酉 晴
武州の御亭に於いて、将軍家明年の御行始めの事その沙汰有り。正月八日・同十四日
たるべきの由、陰陽道これを申す。八日は延引せしむべし。十四日宜しかるべきの旨
仰せらる。御行始めの方角、北方吉の由晴賢これを申す。北方は天一の方なりと。