12月1日 庚子 天陰
日蝕正現せず。
12月3日 壬寅 晴
筥根社遷宮の事條々評定を経らる。陰陽道日次を撰び申す。而るに去る月二十八日戊
戌上棟の儀有り。彼の日は宮社を建てらるべきに非ず。戌の日は神の吉日に載せざる
の旨、傾け申すの輩有り。これに依って驚き御沙汰有り。尋ね下さるるの処、日時を
撰ぶに及ばず。ただ社家の計りとして遂行するの由答え申すと。
12月4日 癸卯 天晴
馬場殿西方に曳きこれを建て直さる。同北西の切戸平門に改めらると。武州監臨せし
め給うと。
12月6日 乙巳 晴
午の刻地震。
12月12日 辛亥 天晴、南風頻りに吹く
辰の刻由井の民居火出来す。越後の守の名越亭後山の際に至るまで、南北二十余町災
す。午の刻に及び火止む。
12月19日 戊午
御祈り等重ねて始行すと。
12月24日 [百錬抄]
前の摂政(道家)、関白の詔を下さる。即ち氏の長者と為す。
12月28日 丁卯
筥根社遷宮。
12月29日 戊辰 晴
将軍家明年の二所御参詣の事その沙汰有り。供奉人の散状並びに御神物の員数の注文
披覧に及ぶ。助教師員これを奉行す。御進物の注文は政所に下さる。早く施行せしむ
べし。供奉人の散状は侍所司に給う。催促を加うべきの旨仰せ下さると。
12月30日 己巳 辰より子に至り夜半雪降る。余尺
日中以後その興を催せられ、将軍家俄に竹の御所に渡御す。御騎馬なり。駿河の守・
陸奥の四郎・同五郎・駿河蔵人・三浦駿河の次郎・小山の五郎・後藤左衛門の尉・源
式部大夫等御共を為す。各々歩行と。廊より御帰り。近辺の山舘歴覧せしめ給うと。