1月1日 庚午 晴、夜に入り雪降る
今日椀飯(相州御沙汰)。御劔は駿河の守重時(布衣)、御弓箭は大炊の助有時、御
行騰沓は佐原三郎左衛門の尉。
一の御馬(鞍置き) 陸奥の四郎政村 同五郎
二の御馬 相模の四郎 同五郎
三の御馬 佐原の四郎 同十郎
四の御馬 吉良の次郎 同三郎
五の御馬 肥田三郎兵衛の尉 同八郎
1月2日 辛未 晴
椀飯(武州御沙汰)。御劔は駿河の守(布衣)、御弓箭は大炊の助(同)、御行騰沓は
大須賀左衛門の尉(同)。
一の御馬(鞍置き) 陸奥の四郎 同五郎
二の御馬 相模の四郎 同五郎
三の御馬 越後の太郎 同五郎
四の御馬 梶原の三郎 同五郎
五の御馬 駿河の次郎 同四郎
1月3日 壬申 雪降る、尺に盈つ
今日椀飯(越州沙汰)。御劔は駿河の守、御弓箭は大炊の助、御行騰沓は出羽左衛門
の尉家平。
一の御馬(鞍置き) 越後の太郎 本庄四郎左衛門の尉
二の御馬 越後の三郎 山家の次郎
三の御馬 越後の四郎 廣河の五郎
四の御馬 河原口次郎兵衛の尉 同三郎兵衛の尉
五の御馬 小井弖太郎兵衛の尉 同五郎
椀飯以後、晩に及び将軍家武州の亭に入御す。これ御行始めに非ず。雪の興に依って
楚忽たるの儀なり。駿河の前司申し行う所なり。
1月7日 丙子
二所御参詣の事、今年は思し食し止むに依って、御使として参るべきの旨、駿河の守
に仰せらると。周防の前司奉行たり。
1月8日 丁丑
御所の心経会なり。今日将軍家御衰日たるなり。猶予有るべきかの由、助教師員これ
を申すと雖も、御祈りの事に於いては憚り無きの旨、先々定められをはんぬ。その上
八日を以て心経会の式日たるべきの由、弾正忠季氏申せしむの間、これを遂行せらる。
1月9日 戊寅 天晴
将軍家御行始め。武州の亭に入御すと。
1月13日 壬午 霽
武州今夜御所の宿侍始めなり。小侍に候し給う。駿河の前司義村・籐内左衛門の尉定
員等参会す。世上の雑談に及ぶと。
1月15日 甲申 天晴
将軍家鶴岡八幡宮に御参り。御束帯・御車なり。御車西門より遣わすの程、車突並び
に門前の橋頗る高きの間、棟木御門の檐に充たり、御車聊か傾きをはんぬ。御神拝の
事終わり還御の後、武州西侍に着き給う。車突並びに橋等を直すべきの由、人々に示
し合わさる。これ犯土なり。当時大将軍の在方叶うべからざるの由申せしむの間、暫
く延引すと。その後御弓始め(二五度)。伊賀四郎左衛門の尉これを奉行す。
射手
一番 武田の六郎 岡辺左衛門四郎
二番 佐々木の八郎 藤澤の四郎
三番 本間次郎左衛門の尉 平左衛門三郎
四番 南條の七郎三郎 渋谷の六郎
五番 駿河の四郎 神地の四郎
六番 佐貫の次郎 横溝の六郎
1月16日 乙酉 晴
将軍家二所の御精進始めなり。
1月21日 庚寅
二所奉幣の御使駿河の守重時朝臣進発す。
1月27日 丙申
酉の一点、駿河の次郎泰村の妻(武州御息女なり)産ず。誕兒胎内に死にをはんぬ。
去る十九日より気分有り。今朝殊に悩乱、難産なり。験者は大進僧都観基・丹波律師
頼暁。医師は良基。陰陽師は晴賢以下四人なり。