1230年 (寛喜2年 庚寅)
 
 

10月6日 甲子 晴
  右丞相十三年御追善の三重宝塔、今日巳の刻礎を居えるなり。戌の刻この地に於いて
  土公を祭らる。親職朝臣これを奉仕す。民部大夫入道行然の沙汰なり。右近大夫将監
  佐房御使たり。
 

10月12日 庚午 朝陽漸晴 [明月記]
  備州云く、山門猶狂乱す。今明大事に及ばんと欲すと(猶下手を出さざるの由なり)。
  綾宮に於いてこれを聞く。三井寺三別所は南院に付け、讃岐庄(承久以後没官か)は
  北中院に付すの由関東成敗す。仍って落居無しと。
 

10月16日 甲戌 晴
  今日武州の御願北條の御堂上棟なり。左近入道道然・齋藤兵衛入道浄圓奉行たり。

[明月記]
  万邦の飢饉、関東の権勢已下常膳を減すの由、閭巷の説耳に満つと。
 

10月20日 戊寅 天晴、風静まる [明月記]
  山法師の下法師四人路人の劔を奪う。叫喚に依って雑人追捕す。二人を搦め二人を射
  殺すと。悪徒謀反横行し洛中太だ不便の事か。捕え得る者河東に向かうと。
 

10月24日 壬午
  去る夜丑の刻より今日子の刻に至り甚雨。午の刻武州御息女の墳墓堂供養なり。百ヶ
  日の忌景を迎えこの儀を遂げらると。
 

10月28日 丙戌 朝天漸晴 [明月記]
  奥州の馬五十疋入洛す。撰び見らると。
 

10月29日 [百錬抄]
  昨日の夜より客星出見す。養和元年以後この変無きか。