1230年 (寛喜2年 庚寅)
 
 

11月1日 戊子 天晴陰 [明月記]
  二十八日西方に客星出る。甚だ不吉の事と。

[皇帝紀抄]
  去る月二十七日夜、盗人東大寺の勅封倉を焼き開き、累代の宝物を取ると。
 

11月6日 癸巳 雨降る
  西国の夜討ち・強盗・殺害の如きの与党等の事、守護所より二ヶ度触れ遣わすべし。
  その上承引無くば、使者を入れ搦め取るべきの由下知を加うべきの旨、六波羅に仰せ
  らるべしと。
 

11月7日 甲午 晴
  西国庄公の地頭中、領家・領所の訴訟に依って糺断せらるるの時、二ヶ度下知せしむ
  の上、猶叙用せざれば注し申すべきの由、また六波羅に仰せらると。申の刻鶴岡若宮
  の廻廊中門の西腋に死人有り。而るに八月放生会延引し、今月遂行せらるべきの処、
  この穢れ出来すと。将軍家御参に云く、放生会猶延引するかの旨、一二を以て七人の
  御占いを行わる。各々二吉の由これを申す。二は延引なりと。
 

11月8日 乙未 晴
  大進僧都観基御所に参り申して云く、去る月十六日の夜半、陸奥の国芝田郡、石雨の
  如く下ると。件の石一つ将軍家に進す。大きさ柚の如く、細長なり。廉石の下る事二
  十余里有りと。
 

11月11日 戊戌 晴
  勝長寿院内新造塔婆の上棟。武州監臨すと。また変異の御祈りを行わると。今日巖殿
  観音堂の礎を居え地を引くと。勧進上人西願と。
 

11月13日 庚子 天晴
  将軍家殊なる御心願有るに依って、今日霊所御祓いを行わる。由比浜は泰貞、金洗澤
  は晴茂、多古恵河は国継、森戸は親貞、抽河は大夫、六浦は忠弘、堅瀬河は晴貞と。
  新民部少輔親實奉行たり。
 

11月18日 乙巳 朝晴
  午の刻俄に風雨、申の刻雷鳴。夜に入り暴風雷雨甚だし。冬至の雷殊に変異なり。御
  慎み有るべしと。
 

11月20日 [百錬抄]
  非常赦を行わる。客星の御祈りに依ってと。
 

11月22日 己酉
  天変の御祈りを行わる。大属星供は助法印珍誉、東方清流は法印良算と。
 

11月25日 壬子 天晴 [明月記]
  客星暁南方に廻る。公家の御慎み軽からずと。関東笋夏の如く人これを食す。郭公頻
  りに鳴き、惣て以て天下の人口不安の由、人毎にこれを陳ぶ。
 

11月28日 乙卯 天晴
  未の刻勝長寿院内の塔婆九輪を上ぐと。