8月6日 甲寅
御台所御方違えの事、駿河入道の家本所の方角に叶うべからず。東御所を用いらるべ
きの由その沙汰有りと。久良これを奉行す。
8月8日 丙辰
御台所精舎造営の為、今夜より東御所に御坐す。百四十五日の御方違えなり。
8月9日 丁巳 晴
和賀江嶋その功を終ゆ。仍って尾藤左近入道・平三郎左衛門の尉・諏方兵衛の尉御使
として巡検すと。
8月10日 戊午 霽
御台所御願の堂舎建立の日時これを定めらる。また武州造らしめ給う御成敗式目その
篇を終えらる。五十箇條なり。今日以後訴論の是非は、固くこの法を守り、裁許せら
るべきの由定めらると。これ則ち淡海公の律令に比ぶべきか。彼は海内の亀鏡、これ
は関東の鴻宝なり。元正天皇の御宇養老二年戊午、淡海公律令を撰ばしめ給うと。
8月13日 辛酉
評定。殿下の御領摂津の国垂水西御牧の内萱野郷に犯過人有り。守護所に召し渡さる
べきの由、左大弁宰相に示し達すべきの趣、今日六波羅に仰せらる。凡そ強盗・夜討
ちの凶賊等の事、権門領たりと雖も、使の入部無しと雖も、守護所に召し渡すべきの
旨治定先にをはんぬ。而るに使の廰に出すべきの由、庄司等存知せしむと。向後は然
るべからざるの由と。筑後の前司資頼入道(法名是佛)鎮西奉行を辞す事、彼の状去
る比到着す。今日その沙汰有り。石見左衛門の尉資能を以てその替わりに補せらると。
8月15日 癸亥 小雨降る
鶴岡の放生会。将軍家御出例の如し。民部少輔有時御劔を役す。供奉の廷尉五人に及
ぶ。関東に於いて未だ例有らず。基綱・祐時・祐政(已上五位)・盛時・光村(已上
六位)等なり。
8月16日 甲子 霽
将軍家また御参宮。御台所御桟敷。盛時・光村等埒の辺に候す。盛時家子(布衣)一
人を具す。光村小節箭を負い家子(布衣)三人を具す(各郎等四人、雑色二人、童火
長二人、調度懸け各一人)。馬場の儀例の如し。而るを競馬の時兵衛の尉景氏・土肥
左衛門の尉義綱等有りこれを召し決せらる。景氏を以て勝たしむべきの由御祈祷に及
ぶの処、御本意の如しと。