1233年 (貞永2年、4月15日 改元 天福元年 癸巳)
 
 

3月2日 丙午 天晴 [明月記]
  典侍に謁するの次いでに聞き及ぶ。隠岐の国守護の武士等私の闘乱静かならざる由を
  聞くと。
 

3月4日 戊申 天快晴 [明月記]
  巷説、隠岐の守護佐々木左衛門八島の冠者(先年今熊野の辺に於いて追討せらる者の
  子)を以て隠岐守護代と為す(謀反者の子と雖も、すでに父子の儀多年を成す)。す
  でに以て出雲守護代の男使いとして、隠岐の国に遣わすの間、是非無く出雲守護代を
  撃ち殺す。一島精兵を勒し城郭を構う。出雲また兵を発し彼の島に渡らんと欲すと雖
  も、島の船津険阻にして、渡る者舟を方ち難し。当時ただ精兵を発し籌策を廻らすと。
  もし重事に及わばいよいよ天下の煩いたるか(六波羅使の往反出雲隙無しと)。
 

3月5日 己酉 朝陽間陰 [明月記]
  東塔、無動寺両方の城郭猶制止に拘わらず嗷々すと。
 

3月17日 辛酉 天陰、雨間降る [明月記]
  賢寂来たり云く、入道(宇都宮)義村の書状を以て冷泉に来たり。その状に云く、堀
  川二位父子不和の事、右衛門の督京極中納言和平せしむべしと。尤も是非に迷う。そ
  の状を以て先ず按察の許に送りをはんぬ。返事無し。
 

3月29日 癸酉 [百錬抄]
  昼風吹くこと有り。夜に入り猛なり。法成寺薬師堂・廻廊等顛倒す。また藻壁門顛倒
  しをはんぬ。今暁、前の関白春日社に参らる。保延の例と。