1234年 (天福2年、11月5日 改元 文暦元年 甲午)
 
 

3月1日
  今日、御台所御着帯なり。午の刻その儀有り。
 

3月5日
  武州の孫子(匠作嫡男、歳十一)御所に於いて首服を加えらる。相州(布衣)・武州
  (同)・越後の守・式部大夫(政)・前の民部権の少輔・摂津の守師員・駿河の前司
  義村・出羽の前司家長・大夫判官基綱・上野の介朝光等西侍に着す。若公(水干)同
  じく侍の南に座す。小時有りて、籐内左衛門の尉定員を以てこれを召さる。若公寝殿
  西向の簾中に参らる。その後召しに応じ武州参り給う。式部大夫・前の民部権の少輔
  ・左近大夫将監佐房・左衛門大夫泰秀・右馬権の助仲能等所役を勤む。次いで理髪は
  相州、次いで御加冠、北條の彌四郎経時と号す。次いで八條少将御劔を取り、新冠に
  授く。これを賜い休所に退出す。次いで両国司已下人々庭上に着座す。将軍家南面に
  出御す。八條少将實清朝臣御簾に候す。次いで御引出物、御劔・御鎧・御馬等を進せ
  らると。その後御簾を垂れらる。新冠已下人々また堂上し、椀飯の儀有り。一に元三
  の如し。武州退出の後、龍蹄を相州に引き進せらる。平左衛門の尉盛綱御使たり。ま
  た尾藤左近将監入道・諏方兵衛の尉等を以て、今日の役人の面々賀し仰せらると。
 

3月10日
  大蔵卿(為長卿)書状を武州に献ず。今日到来す。一巻の記を件の状に相副ゆ。武州
  御所に持参せしめ給う。師員御前に於いてこれを読み申す。その記に云く、北野回禄
  の事仗儀有り。為長長門を賜い、来八月以前宝殿の造畢を奉るべきの由宣下す。また
  炎上翌日の夜、大宮中納言(實有卿)夢想の告げに、天神四韻の御作有り。覚めて七
  字ばかりこれを覚悟す。昨林中の火涼風に扇くと。また去る二月の比南都の天狗恠を
  現し、一夜中、人家千余宇に於いて三字を書く(未来不と)。ただに短慮の覃ぶ所に
  非ず。尤も奇怪たりと。
 

3月22日
  大納言阿闍梨隆弁始めて御所に参る。見参に召し入ると。去る六日本寺より下着す。