1234年 (天福2年、11月5日 改元 文暦元年 甲午)
 
 

6月19日
  左衛門の少尉為光評定衆に召し加えらる。
 

6月30日
  陸奥の五郎病痾に依って、小侍所別当を辞す。而るにこの事重職たり。子息太郎實時
  年少の間、譲補し難きの由、その沙汰有りと雖も、武州重役と雖も、年少と雖も、扶
  持を加うべきの由、申請せしめ給うに依って、仰せ付けらるる所なりと。