1237年 (嘉禎3年 丁酉)
 
 

12月1日 戊寅 雨降る
  日蝕正現せず。昨日天晴、夜半以後陰雲、丑寅の刻より雨降る。蝕時分に愛染金剛如
  法佛(五指量)を造立せらる。主計の頭これを奉行す。

[百錬抄]
  日蝕正現せず。去る夜より雨降る。定豪僧正御祈りを奉仕す。法験の至りなり。
 

12月2日 己卯
  昨日蝕御祈り勤行の僧三人、今日御所に召され、各々銀劔一腰を賜う。伊勢の守定員
  これを奉行す。
 

12月10日 丁亥
  日月蝕及び天変重疉の御祈りの為、御所に於いて属星御祭を行わるべし。将軍家祭庭
  に出御有るべきに依って、今日晴賢これを奉仕せんが為参籠す。右大将家・右府将軍
  等の御時の例に任せ、重軽服の人々参入すべからざるの由仰せらると。
 

12月12日 己丑 天晴
  今日金窪右衛門大夫行親に仰せ、御所の巽角を掃除せらる。御祭を行わるべきに依っ
  てなり。亥の刻晴賢朝臣これを奉仕す。将軍家束帯を着し出御す。御祓い有り。内蔵
  権の頭資親奉行たり。三十夜これを行わるべし。毎度出御有るべきの由と。
 

12月13日 庚寅 晴
  左京兆室家母尼の追福の為、彼の山内墳墓の傍らに於いて一梵宇を建てらる。今日供
  養の儀有り。導師は荘厳房律師行勇。匠作・遠江の守聴聞せしめ給う。
 

12月15日 壬辰 陰、雨下る
  今夜月蝕現れず。この蝕現わるべからざるの由、天文道日来これを申し入ると。