1239年 (暦仁2年、2月7日 改元 延應元年 己亥)
 
 

7月2日 己巳
  陰陽道七人を御所に召され、各々御劔一腰を賜う。これ禅定殿下御不例の御祈祷を致
  すの上、去る五月飛脚参着の時、殊なる御事有るべからざるの由占い申すが故なり。
  凡そ陰陽道の事、内々御沙汰有るに依って、司天の輩を賞翫せらると。
 

7月15日 壬午
  御所の御持仏堂に於いて盂蘭盆経を賛嘆せらる。信濃法印道禅導師たり。佐房・廣時
  等布施を取ると。今日、前の武州田地を以て、不断念仏料所と為す。未来の際を限り
  信濃の国善光寺に寄付せしめ給う。当寺の事、年来御帰依の上、今度御不例の時殊に
  弥陀の引摂を恃まるるに依ってこの儀に及ぶ。圓全法橋寄進状を早すと。
  寄進
    信濃の国善光寺不断念仏用途の事
   水田陸町陸段、当国小泉庄室賀郷内に在り。念仏衆拾弐人(定めて器量人在り)
  一、田疇配分の事
    右六町六段の内、六町は念仏禅侶の免給なり。六段は仏性燈油の料田なり。然れ
    ば則ち免田六町を十二分に校量し、人別五段を十二人に充つべし。その外六段を
    料田に相募り、半田を人別に副えられ、長くこの地利を以て専ら供具に備うべし。
    各々人別の営みとして、月別の勤めを致すべし。それ燈油参斗陸升・仏性参斗陸
    升なり。則ち十二人に分ち十二月に充つべし。但し沃攘上腴の上田有り。薄地下
    流の下田有り。悉く優劣を計会し、多少に配分すべきなり。
  一、免除不退の事
    右当庄知行の職に於いては、一門互いに交替すと雖も、料田寄付の條に至りては、
    万世違乱すべからず。而るに後々代々の際、子々孫々の中、この契約に背き、若
    くは顛倒せしめば、上は則ち長く西方世尊の憐れみに漏れ、下はまた本願施主の
    恨みを結ぶものなり。
  一、結衆補任の事
    右先ず根機の信信ぜざるを論ずべし。強ち材智の堪堪えざるを嫌う勿れ。それ人
    の過を談らば則ち悪言身上に来たり。敵論を企てば且つは濫吹眼前を遮る。然れ
    ば則ち兼ねて心操を桑門に誓い、良縁を華界に結ぶべきか。
  一、交衆座列の事
    右夏臈高年の禅室と雖も、上首の思いを成す莫れ。楚才碩学の智峯と雖も、下身
    の礼を存ずべし。然れば則ち諠譁の根元を萌すこと無く、覺樹の花報開くこと有
    らんか。
  一、禅侶一味の事
    右結衆の衆会に当るは、十二人の人数なり。仍って七人以上の議を以て衆議を為
    すべし。五人以下の議を以て異議を為すべし。然れば則ち縦え材智の人と雖も衆
    議に随うべし。仍って何ぞ況や柴愚の人、異議に就いて勿らんか。
  一、連日不参の事
    右他行と雖も籠居と雖も、不参両月を過ぐべくば、代官を置きその勤めを致すべ
    し。重病と雖も服暇と雖も、不参百日に及ぶべくば、結衆に触れその議に随うべ
    し。
  一、所職を相譲る事
    右一師の譲り有りと雖も、諸人の議に依るべし。これ故に吹嘘の初めその仁を涓
    んで補すべし。相伝の後彼の短露れて改めること勿れ。
   以前の各々七箇條の式目を守り、一結衆の誠心を調うべし。殊に則ち二品禅尼を始
   め奉り、数輩の先君を導くべし。兼ねてまた四祖二親より始めて、亡息夭孫を助け
   んと欲す。乃至自他の法界・平等の利益、抑もこの勤めは、如檀籐氏の中情より起
   こる。聊爾に始まると雖も、龍華樹仏の下生に至り、退転すべからず。同じくこの
   趣を存じ、勤行せしむべきの状件の如し。
    延應元年七月十五日
                    正四位上行前の武蔵の守平朝臣
 

7月20日 丁亥 深更に及び風静月明
  将軍家俄に佐渡の前司基綱の家に渡御す。御車を用いらる。御共の人々は折節祇候の
  分ばかりなり。所謂周防右馬の助・陸奥掃部の助・毛利蔵人・河内の守・兵庫の頭・
  織部の正・駿河四郎左衛門の尉・同五郎左衛門の尉・結城上野判官等なり。彼の所に
  於いて勝長寿院の兒童等を召し、管弦・舞曲等の興遊有りと。
 

7月25日 壬辰
  越中の国東條・河口・曽祢・八代等の保の事、請所として、京定米百斛を以て備進す
  べきの旨、地頭等去年十一月連署状を禅定殿下に献る。仍って国使の入部並びに勅院
  の事以下の国役を停止すべきの由、同十二月国司の廰宣に加う。これに就いて去る正
  月国司の廰宣・地頭等の寄進状に任せ、東福寺領として勅院の事以下の国役等を停止
  し、地頭の請所として年貢百石を備進せしむべし。兼ねてまた当国宮嶋保は当家領と
  雖も、国領に糺返せらるるの由、禅定殿下政所の御下文を下さる。これ彼の寺に寄付
  せんが為相伝せらるる所なり。仍ってその趣を将軍家に申さるるの間、その旨を存ず
  べきの由、今日御返事を奉らると。
 

7月26日 癸巳
  今日評定。犯科人の事、軽罪の輩に於いては赦免を行わるるの時免さると雖も、重科
  の族に至りては然るべからざるの由定めらる。次いで強盗並びに重科の輩、禁獄せら
  ると雖も、その身を申し出し、関東に進すべきの由、六波羅に仰せらるべしてえり。
  次いで地頭に違背するの咎に依って、召し置く所の庄官・百姓等の事、自今以後誡む
  べからざれば、早くその居住所を追い出すべしと。
 

7月28日 乙未
  去る十一日以後、連夜天変出現すと。